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手話は文化

ろう女優「美しい言語誇り」 聴覚手術 選択せず
仲間と励む劇団のけいこ。若手女優として、手話と表情で役柄を演じる徳江奏美さん(右から2人目)=京都市南区
 まっすぐ正面を見つめ、人さし指を立てた手を前に出す。両手で弧を描く。意味は「あしたを拓(ひら)く」
 三月に控えた公演のけいこ。劇団員の徳江奏美(かなみ)さん(24)=京都市左京区=が手話でせりふを語る。思いを乗せた絵を宙に描くかのように。
 青森県の生家。一歳の時、遊んでいた風船が突然割れた。大きな音にまったく驚かない様子に、母は娘の耳が生まれつき聞こえないと気付いた。「何とか言葉を覚えさせなければ」。両親は奏美さんをろう学校幼稚部に通わせた。習うのは唇の動きを見る読唇(どくしん)と発音を組み合わせた口話(こうわ)法。難しい。「嫌々だったけど、少しでも聞こえる人に近づいた方がいいんだ」と練習を続けた。
 親の願いで進んだ地域の公立小学校。いじめっ子が不意に後ろから髪をつかむ。足音が聞こえない。中学は自分の意志でろう学校へ。手話の授業があった。友達も活発に使う。「手の動きの速さと滑らかさの加減、表情や目線に首の傾き。見える全部を『言葉』にする手話の美しさにひかれた」。目で見て、思いを伝え合える。どんどん手話を覚えた。
 高等部を卒業後、福祉の専門学校に進む。聴覚障害者は自分一人。「手話と口話、筆談、身ぶりで話せます!」。入学後、同級生に似顔絵入りのチラシを配り歩いた。夢だった介護福祉士になり、綾部市にある全国でも数少ない高齢聴覚障害者の特別養護老人ホームに就職した。
 四年前、同僚の勧めで「劇団あしたの会」の劇を見た。手話と声で野球の応援歌を「合唱」したり、親指を立てて「男」を示す右手と小指を伸ばして「女」を表す左手をくっつけて「結婚したい」と手話で語ったり。ろう者と聞こえる役者が違和感なく織り成す舞台は温かかった。
 一昨年、劇団の拠点の京都市に引っ越し、一員になった。昨春には、ろう者で劇団員の真史さん(32)と結婚。「次のけいこも一生懸命頑張るぞ」。頑張るという手の動きに、口を一文字に結んで「一生懸命」という意味を加える。夫婦は帰宅後も手話で演劇談義を続ける。
 「顔をくしゃくしゃにして、いろんな気持ちを表情で示す手話の表現が特に好き」と奏美さん。喜びも悲しみも怒りも、顔を背けず伝える手話という言語文化に誇りを感じる。
 今、先端技術の「人工内耳」手術を受ける中途失聴者や先天性難聴児が増えている。だが奏美さんは手術を受けようとは思わない。「求める人がいるのだから選択は自由だと思う。けれど、私は多くの素敵(すてき)な人に囲まれた今の暮らしがすごく幸せ。私は『耳が聞こえなくて良かった』と心から言える」
■人工内耳
 体外の小型コンピューター装置で音をデジタル信号化し、内耳の蝸牛(かぎゅう)という器官内に外科手術で挿入した電極が受信。刺激された聴神経から信号が脳に伝わり、脳が音としてとらえる先端技術。使用者数は日本で約5000人、世界で10万人以上とされる。

医療が後押し

幼い時から人工内耳を使う麻衣さん(中央)。おじいちゃんやおばあちゃんとも携帯電話で話せるようになった(京都市西京区)
 「そんなんしたら、あかんやん」。京都市西京区の会社員白川善昌さん(40)は二女の小学四年麻衣さん(10)が京都弁を使うことがうれしい。「学校の読み書きでは教えないはずの言葉。周りの会話が聞こえて、自然に覚えてくれた」と実感できるからだ。
 麻衣さんは二歳二カ月で人工内耳の手術を受けた。手術後に音を聞いた時、すぐ反応して目をぱちぱちさせた。今は両親や祖父母の声ならば、携帯電話でも話せる。
 日本では一九八五年に初の人工内耳手術が行われ、九四年から医療保険が適用された。四百万円程度の個人負担が数万円に減り、使用者は年々増加。低年齢化も進む。
 「聴力を良くしたいと望む中途失聴者や、幼児期の言語習得期を終える前の難聴児らにとって大きな福音」と日本聴覚医学会監事の安野友博医師(京都市西京区)。同時に「人工内耳の音を脳が言葉として理解するには、家族と言語療法士らで進める手術後の療育過程が大切」と指摘する。
 人工内耳を使っても健聴者と同じほど聞こえるわけではない。日本耳鼻咽喉(いんこう)科学会の調査(二〇〇六年)では使用者の平均聴力は約三九デシベルで軽度難聴にあたる。「いまひとつ聞こえない」という人が6%いた。先天性難聴者が成人してから導入し、雑音に思えて言葉として聞き取れなかったという例もある。
 先天性難聴児は約千人に一人の割合で生まれ、その親の九割ほどは聞こえる人同士の夫婦であるとされる。「ろう文化や手話を知らないから、まず頼るのは医療機関。そこで人工内耳を勧められることが多い」と、京都聴覚言語障害者福祉協会(中京区)の高田英一理事長は説明する。京都でも、ろう学校幼稚部に通う子どもが人工内耳を使い、地域の幼稚園に転入する例が増えつつある。
 一方、手話は曲折をたどる。日本の聴覚障害児教育は一八七八年、京都に盲唖院(もうあいん)が設立され、本格的に始まった。手話や筆談が中心だったが、大正期に読唇(どくしん)と発声の口話(こうわ)法が台頭。手話は音声言語への適応の妨げになると、ろう学校からも排除された。この傾向は今も影響を残す。
 しかし、手話はその便利さ、奥深さを知る人たちの間で受け継がれ、昨年五月に発効した障害者権利条約には「手話は言語」と明記された。
 「今の人工内耳には限界がある。聞き取りにくい場合は目で見て覚える手話を母語とし、音声は補助的な第二言語として使うべき。母語がどちらつかずになるのが一番、子どもの心の成長に良くない」(高田理事長)
 障害者の生活文化として培われてきた手話と、先端医療として普及する人工内耳。個人に合った適切な選択には、「情報と支援が必要だが、十分ではない」という。
 ろう者たちは手話言語独特の感性による演劇や手話朗読、絵画など芸術文化も生み出してきた。「手話と日本語の読み書きを使い、多くのろう者が社会で活躍している。だが、教育の場や働く場で手話通訳者の配置など社会的な支援体制は進んでいない」(高田理事長)。
 そうした社会づくりより先に、先端技術が広がる。ろう者の夫婦には「自分らの母語である手話で、子どもと話したい」と望む人もいる。一方で、聞こえる人同士の夫婦の子どもが難聴だった場合、「音のある世界を知ってほしい」と願う。どちらも自然な思いだ。
 生まれながらのろうを治療すべき障害とみるのか。文化をはぐくむ個性とみるのか−。人工内耳の問題だけでなく、そこには再生医療など先端医療技術に通底するジレンマが横たわる。
 「子の幸せを一番に考えるのが親の務め。人工内耳の選択は重い決断でした」と白川さんは振り返る。麻衣さんは今、静かな場所での会話は自然にできるが、風呂や寝る時は体外装置を外し、音のない世界になる。「感覚的に必要と思うのでしょうか。私が通う手話サークルについて来たがるんです」と母綾子さん。
 「これからの人生でどのコミュニケーションを一番に選んでも、人との出会いに恵まれ、愛される娘になってほしい」。親の願いが、明るく生きる少女を包む。
(京都新聞朝刊2009年1月8日)