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認知症の妻思い退職 還暦間近でヘルパーに

夫婦並んで笑顔 何よりの良薬
デイサービスで利用者とふれあう芦田豊実さん(京都市西京区)
 「じゃあ、仕事に行ってくるよ。すぐホームヘルパーさん来てくれるからね」
 朝、京都市西京区の芦田豊実さん(60)は若年性認知症を患う妻の節子さん(58)より、一足早く家を出る。
 節子さんは毎日、家の近くのデイサービスに通う。送迎のヘルパーが来るまで十分から十五分、家で一人きり。「私も職場へ連れて行って」。豊実さんに激しくせがむこともある。
 「少しの時間が妻にとって、どれほど長く不安なんだろう」。豊実さんはいつも、どこか心苦しさを引きずったまま、車を出す。
 豊実さんはコンピューター機器の管理販売会社のシステム部長だった一昨年秋、東京への異動を命じられた。数分前の記憶を保てず、一人で生活できない妻を置いて単身赴任は考えられない。二人で引っ越せば、ケアマネジャーら介護関係者と築いたきずながゼロになる。「川があり、緑が多い今の家のような環境を東京では探しにくい。妻の心にストレスはかけられない」。退職を決めた。
 年金がもらえる六十五歳まで、どう生計を立てるか。もうノルマに追われるような仕事は嫌だ。「妻を支えるための知識を働きながら学び、人の生活も支えていけたら」。通ったホームヘルパー二級講座の受講生二十数人の中には、五十歳以上の仲間が四人いた。
 妻の介護が優先だ。働けるのは午前九時から午後四時。近くの福祉施設「京都桂川園」に、「社会経験豊富な人がいれば、介護の質に幅が出る」と採用された。
 仕事はデイサービスの非常勤職員。体にまひがあるお年寄りの着替えや入浴介助、体操などのレクリエーションと体力勝負の連続だ。「最初は毎日ぐったり」。勤め始めて五カ月。「少しずつ介助技術を覚え、体力的にはやれる」と感じている。還暦で年の近い自分に、利用者が複雑な家庭事情の悩みを打ち明けてくれたり、心開いてもらえた時の喜びは何にも替え難い。
 年収はかつての約八百万円から、週五日出勤しても約三百二十万円と大きく減った。会社員時代は飲み会や出張続きで、家を空ける時間が長かった。「妻は昔から物静かで優しい。私の仕事の忙しさに文句一つ言わなかった」
 今は飛んで帰る。節子さんと四十分歩いて着くショッピングセンターで買い物、帰宅して夕食と、ゆったりした夫婦の時間が何よりいとしい。
 「春には桜を見て、夏は緑輝く山へ行く。平凡でいい。今の暮らしを長く続けたい。認知症の進行を遅らせてあげたい」。二人並んで、笑顔の時が増えるのが一番の薬と信じている。

先駆、アジアからの介護者

左から原田麻里さん、サフィトリさん、ダムリさん
 小学生になった娘の将来を思い、挑戦を決めた。
 「在日フィリピン人と言えば、パブやクラブとか夜の飲食店での仕事。そんなイメージを変えたい」
 フィリピン出身の原田麻里さん(43)=舞鶴市=は九年前、ホームヘルパー二級講座に参加した。まわりの在日仲間で前例がない。漢字に一字ずつ振り仮名を打って教科書を読み、資格を得た。
 二年前に日本国籍を取るまで、名前は原田マリアフェ。名刺を見るなり、「フィリピンは夫が戦争で亡くなった場所。あなたの介護は受けたくない」と断られた時はつらかった。それでも、舞鶴の方言交じりの丁寧な介助。和食の調理。訪問を重ねて打ち解けた。
 昨秋、市内に開設された「ライフ・ステージ舞夢」のグループホームに移った。ここには同郷の女性職員が五人いて、指導役も担う。
 原田さんは来日して半年間、クラブのダンサーだった。「介護より夜の店の方がお金はいいけど、介護職に挑む仲間が増えてきた。年を取って職がない仲間にも勇気を与えたい」
 舞夢の上野由香子施設長は「在日フィリピン女性は、明るさと高齢者を敬う国民性を持ち、日本語と文化を生活の中で覚えられる。今後の介護業界で活躍できる」と期待をかける。

明るさと敬う心 国籍の壁 消えた

介護士として活躍するフィリピン出身の原田さん。明るい笑顔と気さくな言葉で、お年寄りを元気づける(舞鶴市桑飼上・舞夢)
 経済連携協定(EPA)に基づく外国人労働者の受け入れも始まっている。昨夏に来日したインドネシア人看護師と介護福祉士候補者計約二百人が一月下旬から全国で働き始めた。
 「大きなチャンス。日本に長くいられるよう国家試験に合格したい」。京滋で唯一受け入れた洛和会音羽病院(京都市山科区)で働くダルマワティ・ダムリさん(28)とウランダリ・サフィトリさん(23)は話す。五月上旬ごろにはフィリピンからも同様に約四百五十人が来日する。EPAの条件で看護師は三年、介護福祉士は四年以内に日本語の国家試験に合格しないと、帰国しなければならない。来日者は母国で有資格とはいえ、ハードルは高い。
 インドネシア、フィリピン両国は国内産業が低迷する中、世界の先進各国へ労働者を送り出しているが、能力により給料が上がり、永住権も得やすいアメリカやカナダの人気が高い。
 「今回のEPAは外交的な意味なのか、介護・医療業界の長期的な人材確保なのか、日本側の目的があいまい」。龍谷大のマリア・レイナルース・D・カルロス准教授(国際労働移動論)は言う。「本当に人材が必要なら本腰を入れないと、日本は通過国になる」
 来日二十三年目の原田さんは昨年と今年、介護福祉士の試験に挑んだ。日本語能力二級、ヘルパー一級の彼女でも、「漢字の専門用語が難しくて」合格点に届かなかった。「(EPAで来る)母国の仲間と日本の福祉現場の橋渡し役になりたい」。そんな思いも胸に、標(しるべ)のない道の先を歩く。
 八百万人にのぼり、戦後日本を支えた「団塊の世代」全員が、今年中に還暦を超える。日本は人類が体験したことのない超高齢社会に突入した。老いを受け止め、支え、支えられる暮らし。人と人、人と地域、社会をつないでいくキーパーソンが、そこにいる。第三部は介護に焦点をあてます。
(京都新聞朝刊、2009年3月16日掲載)