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一緒に住みたい でももう限界

さあ歌おう 妻への思い重ねて
小杉辰治さん・妻の恵美子さん(右)と辰巳さん(左)
 −知っているのか別れのつらさ いつか二人で つかむ幸せ−
 小杉辰治さん(79)が拳を握り、十八番(おはこ)の「夜霧よ今夜も有難う」を歌う。守山市のデイサービス。黄色いシャツに赤いちょうネクタイ。氷川きよしをもじった芸名は「氷山(ひやま)たかし」。舞台衣装で歌う間、妻の恵美子さん(76)=同=の介護を忘れられる。
 野洲市の小杉さん宅には、カラオケ大会の賞状が多数並ぶ。福祉施設を回る「歌唱ボランティア」を九年前に始めた。この日は友人で江州音頭普及会の佐野公治さん(56)=湖南市=に誘われての出演。「袋小路に住んでまして…」と司会の佐野さんがお年寄りを笑わせる。寝たきりの恵美子さんが久々に笑ったのも、佐野さんの冗談だった。
 舞台を降りた後、小杉さんは自宅から約五キロ離れた特養ホームに車を走らせた。二年前に妻が入所してから、ほぼ毎夕通っている。
 「自分だけ楽しんですまない」。ベッドに横たわる恵美子さんのほおにキスした。恵美子さんの首を左右にひねり、硬く曲がった腕や足の関節をもんだ。もう趣味の俳句を互いに詠んだり、口げんかも、「お父ちゃん」と呼ぶこともない。
 二〇〇三年秋、レビー小体型の認知症と診断された。自宅で四年間、介護した。ガスの使い方を忘れた妻をついしかってしまう。「小人がたくさんいる」。特有の幻覚に振り回される。それに慣れると、次は体の震え。背中をさすっても、抱きしめても収まらない。いら立ち、そばの机を蹴った。なぜこんな病気に…。
 掃除に洗濯、三度の献立を考えるのがきつい。かつて自分が車掌を務めた新幹線のような、終着駅が介護にはない。一緒にグループホームの見学に行った時、「うば捨て山に放るのか」と妻に言われた。しかし、状態は悪化する。骨折からパーキンソン症状も重なり、寝たきりに。無理心中の悪夢が何度も頭をよぎった。
 〇六年暮れ、小杉さんは恵美子さんを老人保健施設に入れ、自身の痛む右足の手術を受けた。術後もつえが手放せない。施設の退所日が迫る中、申し込んでいた特養が空いたとの連絡が入る。一緒に住み続けたいが、もう限界と感じていた。正直、助かったと思った。
 「認知症を悪化させたのは、しかった自分のせいでは」という後悔と、半世紀連れ添う妻への思いが特養へ足を運ばせる。妻と同じように支えが必要な人たちの喜ぶ姿が、歌謡ボランティアに駆り立てる。
 在宅介護を断念せざるを得なかった小杉さんの歌謡ショー。在宅介護を続ける守山市の辰巳靖嗣さん(69)が居合わせた。

ため込まず 時に「SOS」

公民館で同世代の仲間と調理実習を楽しむ辰巳靖嗣さん(守山市)
 歌謡ショーを終えた野洲市の小杉辰治さん(79)に、守山市の辰巳靖嗣さん(69)が声をかけた。「家内が通うデイサービスでもやってくださいよ」
 ショーの後、辰巳さんはバイクで家路を急いだ。午後四時、デイサービスから帰宅する妻道代さん(67)を迎えるためだ。
 自宅で、いつもの青いエプロンを着ける。「さあ仕事するぞって、気合が入るんや」。冷蔵庫に張ったカレンダーには、賞味期限ごとに食品名を記す。新聞の料理欄を切り抜き、献立を増やしてきた。総菜で買うのは天ぷらくらいだ。
 こんな風に台所に立つようになったのは約十五年前。道代さんが物音や人影におびえだしてから。辰巳さんが活字を組む文選の職を失い、飼っていた猫の死も重なった。やがて妻は統合失調症と診断された。
 五年間の入院生活を経て二〇〇一年春から自宅で介護する。「不眠午前1時 不穏午前2時」。一日二十錠の服薬状況と容体を記した日記は当初、「不」の文字が並んだ。夜中に大声で歌い叫ぶ。口をふさがざるを得なかった。明け方まで寝てくれない日もある。それでも、自宅に戻ってから症状は徐々に落ち着いてきた。「病院より、家の空気を吸った方がええのか」
 週三回のデイサービスを中心に介護保険を使っている。退院直後は六十五歳未満だったため、無理かとあきらめた。認知症の診断を受け、利用できるようになった。在宅介護者の家族会に出席し、アドバイスを受けたのがきっかけだった。
 家にこもってはいけないのだ。「恥ずかしがり、ため込む方がしんどい」
 シニアボランティアグループ「ドリーム18会」は発足からかかわった。市民農園で野菜を育て、障害者施設や学校に届けている。その仲間の紹介で、畑を四カ所借りた。種から大きな大根やカブができると自信になる。自慢の野菜を見せると妻が言った。「わたしより野菜が大事か」「母さん、そんなことあらへんで」
 精神障害者家族会にも入り、交流のためのバンド活動で辰巳さんは打楽器カフォンを担当する。公民館で月一回ある調理実習と食事会も楽しみだ。高齢者向けの栄養教室で出会った人らと続けている。終わると近くの喫茶店へ。「人との出会いを楽しまんと」
 妻の送迎に間に合わない時や法事で出掛ける時は、町内の知人に見守りを頼む。「SOSを出せる人が複数いる」。その一人、奥野寿美子さん(71)は時々、つくだ煮やサラダを差し入れる。「少しでも心の支えになれば」と話す。辰巳さんはできた野菜をおすそ分けする。「お互いさん」だ。  さまざまな人たちの支えで、在宅介護を続けていられる。でも、いつまでできるだろう。子どもたちは離れて暮らし、家庭もある。「自分が倒れた時が心配や。考えたら恐ろしい」
(京都新聞朝刊、2009年3月18日掲載)