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往診専門「チームオクダ」

在宅望む患者支える
奥田成希さん(下)と看護師の妻知美さん(中央)、岸田かおりさん
 外来診察が一息ついた午前十時半。京都市左京区一乗寺の開業医、奥田成希さん(40)の診療所の電話が鳴った。「母が食事中に急に苦しみ出したんです」。午後一番に往診するはずだった同区の自宅で暮らす百歳の女性だ。
 自ら運転する車で駆けつけ、気道の確認や気管の吸引を行う。窒息するような異物はない。発作だ。心肺はすでに止まっている−。
 誰しもが迎える命の限りのとき。往診を始めた二年前から、この日のことは家族と何度も話し合ってきた。管だらけにしたり、電気ショックを与えたりはしない。娘が母親の手を握りながら、静かに見送った。
 「頑張って介護する姿に僕も引っ張られました」。疲れた顔の娘に声をかける。百歳の誕生日に、奥田さんの長女(5)も交え、一緒にケーキを食べた思い出を語り合う。「また来ますから、安心してください」。家族が喪失感から立ち直るよう、支えていくのも大切な役割と考えている。
 診療所に戻って死亡診断書を書きながら、奥田さんがつぶやいた。「みとりを在宅医の勲章とは思わない。もっとできることがあったのではと、いつも考えてしまうから」

力合わせ「病院にない安心を」

 病院勤務だった奥田さんの転機は六年前だ。「家に帰りたい」と九十代の患者と家族から往診を頼まれた。余命数カ月と聞いていたが、みとりまで一年以上も家で過ごすことができた。
 「患者を最も知る家族は、主治医にも看護師にもなれる。住み慣れた家が何にも替え難い安心感で患者を包む」と肌で感じた。
 「病院にはない、そんな暮らしを支えたい」。昨年九月、看護師の妻知美さん(36)と往診専門の診療所を開いた。四十代に入ったばかり。小柄な体に十キロのかばんを提げ、約四十人の在宅患者を回る。生と死の間を縫うような日々だ。
 「おしっこしようね」。母親(41)の呼びかけに寝たきりの長女(13)の目がきょろきょろ。きっと、うなずく合図だ。「ちくっとするね」。すかさず、奥田さんが利尿剤を打った。
 少女は先天性難病の脳障害。脳が排尿を指示しない。生まれてから入退院を繰り返し、母親がずっと付き添ってきた。昨春からの入院で、少女は静脈から管で栄養を取ることになった。感染症の不安がある。
 家に帰り、家族そろって暮らしたい。無理なのか−。そんな両親の願いは昨秋、自宅近くで開業する奥田さんと、訪問看護師らでつくる「チームオクダ」に出会い、かなった。
 排尿を待つ間、奥田さんは母親から少女の暮らしぶりを聞く。相づちを絶やさない。時計は一時間進んだ。母親がほほえむ。「ゆっくりしたやり取りが安心させてくれるんです」
 世界でも冠たる「国民皆保険」を軸に、長命を実現してきた日本の医療が揺れている。いつでも、どこでも、だれもが安価に安心して受診できるとされた仕組みは、音を立てて崩れつつある。だけど、病む人がいる限り、あなたに寄り添いたい。第四部は医療のつなぎびとです。

生きる意欲 家族とつむぐ

左から中村さん、奥西さん、竹村さん
 「自宅で暮らす患者と家族に、生きる支えや夢を持ってもらう」。京都市左京区の開業医、奥田成希さん(40)は患者や家族の希望を実現するため、それぞれに応じてチームを編成する。
 脳こうそくの後遺症から左京区の自宅で寝たきりになった湊芳子さん(84)。昨春、三年ぶりに車いすで外出できるようになった。同居する長女の原田静子さん(59)がリフトを操作し、ベッドから車いすへ流れるように運ぶ。何気なくみえるこの態勢をつくるのに、一年半かかった。
 「お日さまや風を浴びたら、気持ちいいはず」。静子さんが願った外出の希望は、奥田さんが往診を始めて動き出した。連携するケアマネジャー中村典子さんが、「生活の質が高まる」と後押し。医療と福祉が連携する「チームオクダ」の出番だ。
 理学療法士の奥西温子さん(31)が、湊さんの硬い筋肉や関節をストレッチでほぐし、ベッドで座る姿勢に少しずつ慣らした。福祉用具専門相談員の竹村市郎さん(39)は奥西さんとともに、湊さんが安楽な姿勢で座れる車いすを選び、体になじむようクッションやマットも付けた。玄関の段差解消にスロープをつけ、断熱材を切り張りした。
 桜をまぶしそうに眺める湊さん。「言葉は出ないけど、分かっていると思う」。原田さんの声が弾んだ。

医療と福祉の垣根超えて

家族が見守る中、寝たきりの柏敏枝さんと手の体操を行う奥田医師(京都市左京区浄土寺)
 奥田さんが寝たきりの柏敏枝さん(94)に聴診器を当てる。「いい音ですね」敏枝さんは笑みを浮かべながら確かな口調で返す。「でも、やせました。風呂で鏡を見てびっくり」
 敏枝さんは昨秋、高熱やひざの痛みで入院した。原因は分からない。「判明しても高齢の体で手術できるかどうか」。病院でこう告げられ、長男の大学教員久さん(62)は年末から自宅での介護に踏み切った。衰弱ぶりに、「年は越せないと考えていた」と久さんは打ち明ける。
 奥田さんの往診に加え、妻で訪問看護師の知美さん(36)と、同僚の岸田かおりさん(37)が訪問介護を続けた。嫌がっていた入浴も、二人になら体を任せる。理学療法士によるリハビリも始まった。「どんどん気持ちが前向きになっていった」。支える知美さんらも、家族の久さんも目をみはる。
 敏枝さんがかわいがってきた孫(24)は今、北海道大の学生だ。「体力つけて、北海道へ行かんとね」。奥田さんの言葉に、「はい」と元気な声を返す敏枝さん。生きる意欲、命の力を家族とチームオクダがつむぎ出す。
 夜七時、奥田さんは最後の患者宅を出た。正午から六軒回って、休みなし。すぐ保育所へ長女を迎えに走った。二十四時間対応のため、娘と患者宅へ走る時もある。「ゆっくり遊んでやれないけど、背中を見ながら育ってほしい」。優しい顔が一層ほころんだ。
 【在宅医療】
 自宅で最期を迎える人は1960年ごろまで7割を超えていたが、76年に病院が5割を超え、今や1割だ。厚労省調査では、終末期を過ごす場所として6割が「できるだけ自宅」と答えた。不安要素は「介護家族の負担」「急変への対応」などで、在宅医療・介護の充実が不可欠だ。
 国は2006年、「24時間往診」を看板にした「在宅療養支援診療所」を制度化したが、07年調査で75歳以上の人口1000人当たりの支援診療所数は全国平均0.82(1万33カ所)にとどまる。
 届け出をしていても「24時間対応やみとりをしている実働診療所は少なく、一部の熱心な医師に集中している」(京都市の開業医)
 専門技術の必要やリスクの高さ、24時間態勢のしんどさなどが敬遠の理由とされる。病院や診療所間の連携、医師の育成、患者への情報公開などが課題だ。

(京都新聞朝刊、2009年4月20日掲載)