京都新聞TOP > 政治・社会アーカイブ >命ときめく日に
インデックス

医師不足に立ち上がる

母親たちの輪
安岡知佳さん(右上)と布施京子さん(下)、新宮美紀さん(左)
 空に満月が浮かぶ夜明け前。海と山が間近に迫る里に、産声が響いた。誕生の瞬間は、四つんばいで踏ん張った。二千九百八十グラム。真っ赤で、しわくちゃな泣き顔がいとしい。
 舞鶴市の助産院の畳に敷いた布団の上、綾部市の主婦安岡知佳さん(29)=は長男祐咲(ゆうさく)ちゃんを優しく抱きしめた。初産で感じた痛みと疲れは、わが子から伝わる温(ぬく)もりで潮が引くように癒やされた。
 京都府北部は医師不足が地域を直撃している。分けても、産科医が足りない。二〇〇六年春、医師不足から国立病院機構舞鶴医療センター、京丹後市立弥栄病院と出産受け入れ休止が相次いだ。出産ができる総合病院に分娩(ぶんべん)が集中し、忙しさを増していた。
 「安らげる環境で、できるだけ自然に産みたい」。夫の啓史さん(28)や両親と話し合いを重ねた知佳さんがたどりついたのは、助産師の新宮美紀さん(38)が〇七年に開いた舞鶴市の「みき助産院」。京都府の亀岡市以北で、出産を扱う開業助産院はここだけだ。
 見学で訪ねた時、「女性にお産と育児を心から楽しいと思って、人生を輝かせてほしい」と話す新宮さんの人柄と、木造民家を生かした雰囲気にひかれ、「ここで産もう」と決めた。
 無事に出産後、六日間を助産院で過ごした。啓史さんは林業の現場と助産院を往復し、三人で寝泊まりした。「家族ごと支えてくれた。お産と普通の毎日が途切れず、つながっていたから、流れのままに子育てができていると思うんです」
 知佳さんが「ねぇ、さくちゃん」と呼び掛ける。「ふわぁ」と祐咲ちゃんがタイミングよく笑った。
 「何か悩みがあれば、友人のように、家族のように頼れる新宮さんがいる。だから安心して、たくさんの愛をわが子にあげよう」

ともに描き出す誕生のとき

 産科の休止が相次いだ〇六年は、産科医の訴訟リスク、少子化による出産件数の先細りのイメージ、病院に残った勤務医の負担増加などが社会問題になり、連日大きく報道されていた。
 「お産はこわいものじゃないよ。きっと幸せな体験になる」。この年の七月、そんなメッセージを広めたくて、舞鶴市の岡田地域に住む布施京子さん(35)ら助産院での出産経験を持つ女性が「おかだの里からお産といのちを守る会」を立ち上げた。
 そこに二児の母親が「自宅出産をしたい」と相談してきた。布施さんが声をかけたのが知人の新宮さんだ。舞鶴市の病院勤務を辞め、子育てなどに専念していた。「思いに応えよう」。現場に復帰した新宮さんは十月、元気な赤ちゃんを取り上げた。

「安心の場」地域でつくりたい

 舞鶴市の農業布施京子さん(35)らがつくった「おかだの里からお産といのちを守る会」は三年前から毎月、「お産を語る会」を始めた。参加者には助産院で産んだ人もいれば、病院での不妊治療の末に子を授かった女性もいる。経験や立場が違っても、共通する思いがあった。
 「心や体の状態はみんな違って、出産は十人十色。だから、どう産みたいか考え、選べる環境が地域にあってほしい」
 医師不足で産む場所の選択が狭まらないように−。そんな思いにも押され、助産師の新宮美紀さん(38)は、出張助産師として自宅出産の介助を続けた後、舞鶴湾近くに「みき助産院」を構えた。まだ開設を知らない人も多く、出産がゼロの月もある。受け入れは少人数でいい。「どの家族のことも深く知り、それぞれの夫婦が描く理想の形を見つける手伝いをしたい」

医療危機 新研修制度で拍車

祐咲ちゃんの2カ月健診で身長を測る助産師の新宮さん。安岡夫妻も「もう一つの家に帰ってきたみたい」とほほ笑む(舞鶴市喜多・みき助産院)
 産科医不足は地方だけの問題ではない。都市部の医療と深くつながっている。
 研修医が自由に研修先の病院を選べるようになった新臨床研修制度が〇四年四月に始まり、京都府立医科大病院の産婦人科医局の医師数は大きく減った。それまで研修医を含めて三十人以上いた医師が、昨年夏には一時、十人になった。
 「この春から医師十五人の体制になったが、とても以前のように府内や滋賀県の病院に医師を派遣できない」。産婦人科教授の北脇城さんは明かす。「結果的に大学自身も関連病院も定員を割った体制で、医療環境を何とか維持しているのが現状だ」
 一方で、晩婚化などによる高齢・少産化が進み、低体重児の出産など危険度が高い分娩(ぶんべん)が増えている。府立医大病院の新生児集中治療室(NICU)のベッドは満床の状態が続く。
 「正常な出産は助産師主導でより自然に、異常がある場合は医師が率いるより高度な医療で対応する。この分業の流れを、大学病院が推進しなければならない」(北脇さん)
 お産を語る会は府県境を越え、福井県小浜市へ広がった。会に参加した橋本啓子さん(39)と田中順子さん(34)が昨夏、サークル「お母さん育て」を小浜につくった。小浜でも出産できるのは二施設だけ。「医者に任せきりでなく、『産むのは自分』と意識を持つ仲間を増やし、声を上げたい」と橋本さんらは願う。
 新宮さんは大きな夢を描く。「助産院は医療行為ができない。女性の医師もいて、緊急時も対応できる環境になれば何よりいい」。核家族化が進み、出産や育児の不安を抱え込む人が多い今だから、「女性が気軽に寄れて、明るく生きるための元気をもらえる場所を、この街につくりたい」
 医師不足が大好きなふるさとの魅力に影を落としたままでは悲しい。ここで生まれ育った私たちが、できることから始めていこう。
【医師不足】
 人口比でみる日本の医師数は先進国平均の7割に満たない。それでも教授が人事権を握る大学医局が医師を派遣し、地方病院も成り立ってきた。2004年に新臨床研修制度が導入され、医師の不足と偏在が表面化した。
 研修医は待遇と設備が充実した都市部の民間病院に集中、開業の道も早くから選ぶようになった。06年に福島県の産婦人科医が業務上過失致死罪などで逮捕された衝撃や訴訟の増加を背景に、産科や小児科、救急など多忙でリスクが高い科を避ける傾向も著しい。
 ただ、臨床能力を高める点で新研修を評価する声もある。閉鎖的な医局制度の復権でなく、一定の医師を計画配置する透明な仕組みを導入し、地域や診療科の偏在を解消すべきだ。医療費抑制のための医師抑制という狭隘(きょうあい)な発想を転換し、医師の増加が前提になる。

(京都新聞朝刊、2009年4月21日掲載)