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がん治療の不安

寄り添う専門看護師
田中結美さん(左)と杉本有理さん(右上)、西萩恵さん
 朝起きて、長い髪を整える時間が好きだった。「思い通りに決まった日は、幸せな気分になれた」
 昨春、京都市右京区の女性(44)は一日の大切な楽しみを再び奪われた。闘病の末、その一年前に乳がんの腫瘍(しゅよう)は消えていた。抗がん剤の副作用で抜けた髪も、やっと伸びてきた。長年勤めた飲食店は治療のためにやむなく辞めたけど、社会復帰を目指してスーパーで働き始めた。その矢先、肺に転移が見つかった。
 どうしようもなく、つらい。友達にも会いたくない。電話さえイヤ。「今度の治療はいつ終わるの?」。答えのない苦しみが、重すぎる。
 京都第一赤十字病院(京都市東山区)の看護師田中結美(ゆみ)さん(39)の言葉で、沈むばかりの心が少し軽くなった。「がんはタンポポみたいなもんやしね。体の中で綿毛が飛ぶ。散ったどれかが根付いていたら、また出てきてしまう」
 無理に励まさない。真実を伝えてくれている。柔らかい言葉で。田中さんと話すうち、女性は感じ始めた。「がんと上手に付き合っていくしか、ないんやもんな」
 田中さんとは最初にがん告知を受けて、すぐ出会った。抗がん剤治療を始める前に、女性用かつらの種類や売り場、大体の値段などをさりげなく教えてくれた。繕った明るさじゃない。ショッピングの会話を楽しむように、不思議と話せる。ロビーや廊下でふと呼び掛けてくれると、うまく胸の内を言葉にできる。「距離感がいいんです」
 違う病院の看護師の言葉からは「若いのにかわいそう」という気持ちが伝わっていたたまれなかった。
 今も外来で治療を続けている。がんで、いつか店を持つという夢も破れた。割り切って受け入れる心にはなれない。通院の数日前から、「悪化していたら」と思うと怖くて眠れない。それでも、病院へ向かう電車から見える桜を「きれい」と思える自分が、今はいる。

患者の生きる”輝き“引き出す

 田中さんは血液内科の看護師として働いた後、看護大学院へ進み、三年前、京都府内で初めて日本看護協会が認定する「がん看護専門看護師」になった。
 血液内科では、白血病などで生死を間近に感じながらも、ひたむきに生きる人たちに会った。人の弱さ、強さ、優しさ、輝く瞬間を教わった。「託された何かを仕事に生かしたい」。導かれるような思いで、あえて「がん」の闘病者と向き合い続ける道を選んだ。
 治癒が望めない患者が多い。「これは延命のための治療です」。重い言葉を伝える時もある。患者が受け入れられるまで、待つこともある。「生き方を選ぶのは患者さん自身」。そばでつかず、離れず。支えでありたい。

「その人らしさ」治療に反映

がん患者の女性とマニキュアの話題で盛り上がる田中さん(右)。抗がん剤の影響で、つめの色が変わっても、おしゃれでありたい女心に共感する(京都市東山区・京都第一赤十字病院)
 京都第一赤十字病院(京都市東山区)のナースステーション。心療内科医、がん看護専門看護師の田中結美さん(39)、福祉面で支援するソーシャルワーカーの杉本有理さん(28)ら「緩和ケアチーム」のメンバーが電子カルテを見つめる。
 足の痛みを訴えるがん患者。薬の変更が必要か、心の不安が原因か。情報を交換する。回診後の夕方、麻酔科医らがチームに加わり、在宅を望む末期がん患者への対応を考えた。
 がん患者の苦痛を和らげる緩和ケア。手術への恐怖や経済的事情。倦怠(けんたい)感や神経痛。心と体の「痛み」は患者ごとに多様だ。どうすれば患者が治療に前向きに臨めたり、心安らかに過ごせるのか。院内の専門職がチームを組み、各診療科のがん患者を回る。
 「なぜ夫をもっと楽にできないの」。家族からの厳しい言葉も田中さんは受け止める。「口調がきついのは患者さんへの思いが強いから。つらいのは患者と家族」。そう分かっている。
 「もちろん、みんなに治ってほしい。でも、誰にも最期の時は訪れる。美しくとはいかなくても、少しでも穏やかな気持ちに包まれてほしい」。その思いを胸に、わずかな命のきらめきも見逃さないように。

緩和ケアに心理士も加わる

 心をふさぐがん患者。本人もどうしたいか分からない。昨春から、急性期の現場では珍しい心理士の西萩恵さん(28)が緩和ケアチームに加わった。
 じっと声を聞いて感情を受け止める。会話のキャッチボールで心の整理につなげる。向き合う姿勢を変えながら、横にいる。「まず知りたい。患者や家族が何を大切に生きてきたか。自然に語ってもらえたら、自分たちがどう困難を乗り越えてきたか、思い出してもらえるかもしれない」
 若い男性患者が高齢の親を思い、つぶやいた。「困らず暮らしていけるかな」
 年配の女性患者は逆に西萩さんを励ました。「あなたは若くて未来があるのよ」
 「その人らしいと思える言葉が聞けた時が一番うれしい」。治療やケアに生かせる話だけ、チームのみんなに伝える。心許してくれた多くの言葉は、大切に胸の中にしまっている。
 田中さんと杉本さんは休日、退院した五十代の末期がん男性の見舞いに向かった。治療のすべはなかった。「急性期病院のここより、娘さんの近くの方が良い時を過ごせるのでは」。田中さんらの提案に、男性は自宅に戻っていた。
 しかし、家では薬の量の調節などが難しく、退院の数日後に男性はホスピスに入った。田中さんと杉本さんが見舞いに行くと、男性はもう亡くなっていた。
 退院後、心穏やかに過ごせていたのか、二人は気がかりだった。本人には聞けないままの別れ。男性宅を訪ね、線香をあげる二人の胸に、娘さんの言葉が温かく響いた。
 「父は家にいる時、本当にうれしそうでしたよ」
 【がん対策】
 がんは日本人の2人に1人が患い、3人に1人が死ぬ原因になっている最大の国民病だ。
 米国では1971年に国家がん法を成立させ、集中的に予算を投じて90年代後半からがん死亡率を減少させている。全米60カ所のがんセンターを軸に、先端研究と臨床の充実、禁煙や検診の徹底、がん患者の治療実績などの登録に向けた人材(登録士)と基準の整備などが奏功したとされる。
 日本は遅れること35年。2年前にがん対策基本法と推進計画をスタートさせ、「10年間でがん死亡率を2割減らす」として治療や予防の推進を掲げる。厚労省の対策予算も増やしてはいるが300億円に満たない。 がん拠点病院に大胆な予算分配を行い、がん登録を前提とした情報開示、病院間連携や役割分担の構築、有効な検診の義務化、緩和ケア普及などが急がれる。

(京都新聞朝刊、2009年4月23日掲載)