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患者不在 増える費用負担

診療医、国策に疑問
戎井浩二さん(左)と大越香江さん(右上)、豊田義貞さん(下左)、宮本保幸さん
 往診する患者の名を張った二色のマグネット。診察室の予定表の上であっちこっちへ動かす。外来診療の合間を縫っての往診。「やり繰りはオセロのよう。二十人を超えるとしんどい」
 京都市山科区の開業医、戎井(えびすい)浩二さん(47)が深く息を吐いた。
 勤務医時代から通院できない患者を往診してきた。「病院で待つだけではだめだ」。五年前の独立を機に、退院して自宅で療養する患者を引き受けている。がんや頸椎(せきつい)損傷、認知症など患者の症状はさまざま。専門の泌尿器科にこだわってはいられない。京都市内でも特に山科区は、往診医が手薄なのだ。「医師の偏在」は肌で感じる。
 正午すぎ、クッキーをかじってコーヒーで膨らませた。「何か腹に入れないと、くらくらするんで」。がっちりした体を揺らす。往診を集中させる月曜は看護師とタクシーで、それ以外の曜日は自転車を走らせる。
 清水幸さん(93)は脳梗塞(こうそく)で寝たきりだ。胃ろうで栄養を取る。一人で介護するのは長男の幸雄さん(65)。老老介護だ。「近所の診療所が往診をしていなくて、困っていたんです」
 戎井さんが往診依頼された昨春、清水さんは鼻から管で栄養を取っていた。管付きの患者はトラブルが多い。「ほかに受け手がないのか。経験がなくためらったが、挑戦する気持ちで引き受けた」と打ち明ける。
 幸さんの顔をのぞき込み、戎井さんは幸雄さんに排便の具合などを尋ねる。去り際、幸雄さんに声を掛けた。「(老老介護は)医療だけで解決できんけど、何でも相談してください」

実態そぐわぬ改革に異議

往診のため、自転車で山科を走り回る戎井医師。自宅で暮らす患者が待っている
 国は三年前から、診療報酬を上乗せする「在宅療養支援診療所」の制度を導入し、開業医の往診を誘導する。だが、山科区の開業医、戎井(えびすい)浩二さん(47)は制度の届け出をためらう。支援診療所になれば確かに報酬は増える。だが、その分、患者の費用負担の増加として跳ね返るからだ。
 「ころころ変わる国策に乗っていいのか」。後期高齢者医療制度にも振り回された。現場の実態に合わない「医療改革」というほかない。そんな疑問を抱えながらも、目の前の患者を救いたい一心で山科を駆け回る。心の悲鳴が、思わず口をつく日だってある。「もう、一人では限界」
 「新臨床研修制度で、研修医に自由を与えすぎた結果、産婦人科や小児科など大変な診療科を避けるようになった。医師不足の原因ではないか」「六年間の医学部教育が実務的でなくぬるま湯すぎる。医局制度が硬直的なのも問題だ」
 京都大構内の一室。大学付属病院外科医の大越香江さん(35)ら四十代までの医師約十人がつくる「京都の医療を考える若手医師の会」の意見交換が始まった。
 代表の大越さんは「医師と患者、現場の医療と行政の間に大きな壁があると感じていた。今の医療のどこに問題があるのか。どうすればいいいのか。現場の医師の立場から発信していきたい」と昨年四月に会を結成した狙いを語る。
 会はブログを立ち上げ、議論の内容を書き込む。医療保険制度や医師不足などテーマは多様だ。昨秋、産休明けで復職した大越さんは「今や医師試験の合格者の三分の一は女性。結婚や出産による女性医師の離職を防ぎ、復職を支援する環境作りも必要」と先ごろシンポジウムを京大で開くなど行動も始めた。「医療崩壊で困るのは患者さん。何ができるのか手探りだけど、黙っていても変わらない」

若手医師ら、現場から発信へ

 戎井さんの周りに、志を同じくする医療者が少しずつ集まり始めている。
 薬剤師の豊田義貞さん(33)=同=は昨春から、山科区で訪問での服薬指導に取り組む。病院と診療所計三カ所から薬が重複して出ている高齢者。大量の薬はごちゃ混ぜだった。医師に掛け合って処方を見直してもらった。「地域に出て、患者の暮らしを医師に伝える役割を担いたい」
 歯科医の宮本保幸さん(48)=同=は歯科医師会山科支部の中心になり、訪問診療などの窓口を設けた。約十人に往診を始めている。「医療者同士のつながりが、地域医療の空白を埋める」。戎井さんも自身の往診に若い開業医を同行する構想を練る。「現場を見れば、使命感を感じてくれるはずなんです。あきらめませんよ」
 三十代から四十代の医療者たち。ほころんだ制度を肩に、希望の灯を手に、日本の医療のど真ん中に立つ。
【医療の負担と給付】
 GDP(国内総生産)に占める日本の医療費の割合は先進国で最低、逆に患者の自己負担割合はイタリアと並ぶ先進国最高になっている。機械的に社会保障費予算を削減するため、政府が「適正化」「改革」の名の下に医療の負担を増やし、給付に制限を加えてきた結果だ。昨春からの後期高齢者医療制度も高齢者に負担を求めるために導入された。
 一方で、現役世代の保険料や窓口の負担は限界に来ており、高齢者を支えきれなくなっている。「今のお年寄りがかわいそう」という感情論ではすまされない。現在の40代が高齢者になる約20年後、3人に1人が高齢者になる日本。「安心」の裏打ちに必要な負担をどこに求めるのか。年金や介護も含めた社会保障制度のどこにどれだけ費やすのか。すべての国民に重い命題が突きつけられている。

(京都新聞朝刊、2009年4月25日掲載)