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知的障害、不登校…

牧場が包む多様な個性
うれしそうに馬にブラシをかける梓ちゃん(手前)。馬を好きになり、心の世界が広がった(南丹市日吉町)
 「おうまちゃーん!」
 京都市右京区京北。3月の雨にぬれた牧場に、北区の平松梓ちゃん(7)の大声が響いた。西京区の市民グループ「しょうがいしゃ馬っ子の会」が月1回開く乗馬の集い。冬の間はなかったから、5カ月ぶりに大好きな馬に会えた。早く触れたい。梓ちゃんは馬のそばへ全力で駆けだした。
 母のみどりさん(46)は梓ちゃんを連れ、3年前から乗馬の集いに通う。梓ちゃんは重度の知的障害がある。それでも牧場で、みどりさんは梓ちゃんから目を離せる。40人前後の参加者の多くが顔なじみ。梓ちゃんが馬を追い、あちこちへ行っても、自然と誰かがそばで見ていてくれる。
 梓ちゃんは警戒心が人一倍強い。人でも動物でも不意に近づいて来る相手は苦手。家族以外にはほとんど笑顔も見せなかった。だけど、優しい目で静かにたたずむ馬たちは、心開ける初めての「友達」になった。
 エサをあげるのが一番好き。馬の集いに通い始めたころは、「バイバイ」「おかあちゃん」といった単語しか話せなかった。馬とのふれあいで、言葉が増えていく。「おうまちゃん、こっち来て!」。かまれないようエサを手放すタイミングも自然と身に付けた。
 やがて、馬だけでなく、まわりに集まる人にも白い歯を見せて、手を振れるようになった。
 馬っ子の会は4月、京北の牧場から、南丹市日吉町の馬場に会場を移した。馬の数が減り、待つ時間が長くなった。「梓に我慢ができるかな」。みどりさんの不安をよそに、梓ちゃんはそわそわしながらも馬場の枠の外でしっかり待てた。「じゅんばん、じゅんばん」。新しい言葉を一つ、身に付けた。

「おうまちゃーん」 友達できた

 ミルクをほ乳瓶で上手に飲めない。あやしても反応が少ない。みどりさんは梓ちゃんが1歳の時、児童相談所を訪ねた。担当の判定員が告げた。「遅れています。(体の)発育も、(知能の)発達も」。脳波検査の結果、梓ちゃんはてんかんを患っていた。
 当時、長男は小学校に入学したばかり。おなかには3人目の子がいた。急に暴れて服を脱ぎ出すなど、予想外の行動を取る梓ちゃんにどう接したらいいか分からない。時に強く怒り、思わず手が出た。夫の誠さん(44)は台所に立ち、家事を助けてくれたが、みどりさんの心に余裕はなく、けんかが絶えなかった。
 梓ちゃんが4歳になる少し前、「障害がある人や家族のための乗馬の集いが京都にあるらしいよ」と友人が教えてくれた。みどりさんは主催者の山下泰三さん(61)=西京区=に電話をかけた。「梓ちゃんのためだけでなく、お母さんの息抜きにもなるはず。それも大切なことですよ」
 目の病気のため、50代で視力を失っても、明るく生きる山下さんの声。まず、受話器越しの会話が元気をくれた。

馬とふれあい 育つ生きる力

お父さんに抱き上げられ、馬にエサをあげる陽紀君。少し怖かったけど、うれしい思い出になった(京都市右京区京北)
 京都市北区の平松みどりさん(46)の長女梓ちゃん(7)は、5歳の時の発達検査で重度の知的障害と判定された。「運動機能は2歳半から3歳、言葉は1歳程度の水準」。その結果を、みどりさんは落ち着いて受け止めた。1歳で障害があると知った時はとても動揺したけれど、今は違う。
 ほぼ毎月通う「しょうがいしゃ馬っ子の会」の集いで、大好きな馬とのふれあいを通し、まわりの大人にも人懐っこく、甘えられるようになった。娘の成長が心をほぐしてくれた。「梓には生きる力がちゃんとある。人とのかかわり方も、経験から少しずつ学んでいる。『判定』より、目の前の姿が何より大事」
 梓ちゃんは地元の公立小学校の育成学級に通う。5月の体育の授業。運動会の練習で、普通学級の上級生たちと玉入れをした。周囲のみんなを見ながら、一生懸命、玉を投げる。終わりの合図の後も投げ続けたのはご愛嬌(あいきょう)。家に忘れた水筒を学校に届けに行ったみどりさんは、列に並び、座って出番を待っている娘の姿がうれしかった。
 計算より、字を書くことより、毎日を楽しいと思ってくれることが、みどりさんの一番の望み。「今でもすごく手がかかって大変。でも、梓が生きて笑っているだけで丸もうけって気持ちです」

協調性芽生え、表情に明るさ

自分の乗馬の順番が近づき、うれしそうに専用のジャケットを身に付けるマミさん(南丹市日吉町)
 「しょうがいしゃ馬っ子の会」にはさまざまな人が集まる。身体や知的障害のある人に限らない。お年寄りがいる。不登校や引きこもりなど生きづらさを抱えた人もいる。多様な個性や経験を持つ人の輪が、自然に囲まれた牧場の空気のように優しく、参加者を受け入れる。
 京都府精華町の田原陽紀君(5)は元気いっぱいの男の子。にんまりと笑いながら牧場中を駆け回る。正確な診断結果はまだ出ていないが、軽度のADHD(注意欠陥多動性障害)の疑いがある。
 家で大騒ぎした時は注意しても聞かない。でも牧場で、父の秀一さん(42)が「お馬さんがびっくりするやろ。もう乗せてくれへんようになるで」と諭すと、うなずいて静かにしてくれる。ほかの多くの家族らとも過ごす中で、「だんだんと協調性や落ち着きもはぐくんでくれたら」
 月曜日。陽紀君は保育園の先生に目を輝かせて報告した。「きのう、おうまに乗ったで。すごいやろ」
 昨年9月に初めて参加した時、上京区の井上マミさん(22)は参加者が乗り合って来たバスから、到着後も降りられなかった。
 マミさんは重度のダウン症。慣れない場所では緊張してしまう。母の稔子さん(51)と、馬の会を立ち上げた山下泰三さん(61)=西京区=の妻の美恵子さん(57)が寄り添い、みんなが少し離れた牧場へと進んだ後、3人でゆっくり歩いた。
 今年3月、2回目の参加で乗馬に挑戦した。鞍(くら)の後ろに座ってしまい、失敗。「嫌になったかな」と稔子さんは思ったが、マミさんは前に出る。今度はうまく乗れた。鞍上(あんじょう)で背筋をシャンと伸ばす。一緒に来ていたダウン症児の親の会「トライアングル」のメンバーが、「普段よりもすごくいい」と驚くほど、表情に力と喜びが満ちていた。
 それ以降、マイペースで過ごせるようになったマミさん。ほかの人の騎乗もにこにこと楽しげに見つめている。「知らない人が多い所は苦手なんだけど、馬と自分だけの世界に浸れているのかな」と稔子さん。
 涼やかな風が吹く山のふもと。馬がいて、不自由を抱えた人がいて。歩みが遅くても、生き方がうまくなくても、包み込んでくれる居場所がある。=第3話は会の主催者、山下さんの物語です

(京都新聞朝刊、2009年6月17日掲載)