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馬と過ごす時間

閉じた心開く力に
失明後の落ち込みから救ってくれた愛馬をなでる山下泰三さん。馬を通して人とのつながりが広がる(京都市右京区京北)
 京都市西京区の山下泰三さん(61)は大手企業の中間管理職として仕事に励んでいた。働き盛りの40歳だった。休日のゴルフの最中、スライスした球が視界から急に消える。目の調子がおかしい。診断は網膜色素変性症。「進行性で、治療法はありません」。突然の宣告に言葉が出なかった。
 まだ子ども2人は中学生と小学生。家のローンも残っている。「一家を養う立場なのに、情けない」。自分を責めた。何とか仕事を続けないと。  同僚が道しるべになるよう、見やすい黄色のテープを会社の床に張ってくれ、それを頼りに自分の机まで歩いた。拡大し、白黒反転したパソコンの字も次第に見えなくなる。自分が職場にいることに、罪悪感が募り出した。
 53歳。完全に視力を失う。その夏、ふさぎ込んでいた泰三さんを妻の美恵子さん(57)が旅行に誘った。北海道の牧場で初めて馬の背中に乗った。引き馬でゆっくり歩く。そよ風。草のにおい。馬の体温。「景色が見えなければ、楽しいはずがない」と思っていた旅で、心が少し癒えた。
 この年の暮れ、仕事を辞めた。暗闇に一人いるようなつらさ、すべてを失うような恐怖心が増す。「一時でも忘れたい」。右京区京北の牧場を探し出し、乗馬の練習に打ち込んだ。経営者で元五輪馬術選手の高宮輝千代さんが無謀とも言える挑戦を応援してくれた。「馬の目を借りて乗ればいい」
 約1年、落馬を繰り返し、一人で乗れるようになった。怖さから目をそらすための試みは弱った心を立ち直らせる荒療治になった。

失明後、見えてきた広い世界

 経験を基に7年前、「身体障害者 馬とのふれ愛倶楽部(くらぶ)」を立ち上げた。ほぼ毎月の集いに、府内外から身体障害者が集まった。互いに心の痛みを分かり合える。馬を中心に、家族のような絆(きずな)ができた。
 回を重ね、知的障害や発達障害のある子どもの参加が増えてきた。今春、「しょうがいしゃ馬っ子の会」に名を新たにし、会場を京北の牧場から、南丹市の明治国際医療大にある柔らかい土の馬場に変えた。
 貸し切りバスに乗る京都市内の集合場所で、必ず全員と握手する。手と手のぬくもりから、一日が始まる。か細い声であいさつをしていた子どもの声が、馬に触れてどんどん大きくなり、笑い声に変わる。「おっちゃん、おっちゃん」とじゃれてくる子がいとおしい。参加者が代わる代わる寄ってきて、「ありがとう」の言葉をくれる。
 「この会を続けてきて良かった」という喜びがこみ上げる。同時に、「今、どんな晴れやかな顔をしているんだろう」と、目が見えない悔しさも正直にある。会を始めて出会った人たちの顔を、自分は知らない。
 でも、だからこそ感じられるのかもしれない。「会社員時代は見えなかった広い世界が、失明後、心の中に見えるようになった」と。
 そんな心の変化が、さらに突き動かす。「生きづらいと感じる人が外に一歩踏み出す始まりの場所にもなれないだろうか」。山下さんは京都市内の引きこもり・不登校の親の会に、案内の手紙を送った。

いじめの傷、騎乗で癒やす

馬と通った道を掃除する22歳の女性(手前)。不登校やひきこもりを経験し、一歩踏み出した(京都市右京区京北)
 「今度、馬に乗れる会に行ってみようか?」
 京都市西京区の山下泰三さん(61)から届いた「しょうがいしゃ馬っ子の会」の集いの知らせを手に、父(50)は、娘(22)に語りかけた。一昨年の春。娘は2年間続けた通信制高校を休んでいた。「今は無理かな」と父は思ったが、娘は「うん」とうなずいた。
 娘は6年生の途中から京都市内の小学校に行かなくなった。理由を語らなかった娘がある晩、堰(せき)を切ったように話した。
 友達だと思っていたクラスの女子児童全員からいじめを受けた。悪口を教科書に書かれ、ぞうきんの水を体にかけられたこともある。クラスメートと撮った写真を破り、「誰も助けてくれなかった。私には誰も友達がいない」と泣いた。
 家からほとんど出ない日が続く。15歳の春、父は「修学旅行の代わりに」と北海道旅行を計画した。3泊のツアー。広い緑の牧場で馬に乗り、娘が「楽しかった」と穏やかに笑った。
 父は思うようになる。「この娘の人生。親ができるのはそばにいることだけ」。学校に行く日を期待する気持ちは消えていった。
 18歳。娘は自分の意志で通信制高校に入学した。家で勉強し、リポート提出などを続けた。しかし、ほかの生徒と顔を合わせるスクーリングの日の後、調子を崩して休学した。同年代の若者の話し声が、「ノイズのように聞こえ、苦しい」という。今でも、体が受け入れない。

「また行こう」 父の言葉に笑顔

 そんな時、山下さんから馬の会への誘いが来た。北海道で馬に触れた楽しい思い出が、父と娘の胸の中にあった。
 初参加の日。右京区京北の牧場。街中にはない静けさ、リズム良く響く馬の足音。目線が変わる騎乗中の景色は、変化に富む。馬は誰の手からもおいしそうにエサをほお張る。触れられても騒がない。じっとしているから、自分の距離感で接することができる。注いだ愛情には優しい目で応えてくれる。娘の顔つきがどんどん柔らかくなった。
 帰りのバス。「また行ってみる?」と父。「どっちでもいいよ」と、ほほ笑む娘。肩の力が抜けた会話。隣り合う席は、向き合うよりも互いの本音を語るのにいい。家に着き、父は山下さんへ手紙を書いた。心からの感謝をつづった。
 昨秋の馬っ子の会。再び参加した娘に、自閉症の女の子が声をかけた。馬のふん掃除の時間だった。「ねぇ、お姉ちゃん、一緒にやって」。その前から片付けを続けていて、休もうと思っていた矢先だった。けれど、何度もせがむ女の子がかわいくて、また竹ぼうきを持った。
 今年3月、娘は馬の背に乗りながら、大勢の人前で涙を流した。こみ上げる感情があった。
 娘は通信制高校の卒業を目指し、勉強を再開した。秋に必要な単位を取り終える見込みだ。その先には美術専門学校への入学を思い描く。
 「絵本作家になりたい」という夢を見つめて。

(京都新聞朝刊、2009年6月18日掲載)