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縁でつながる「家族」

支え、支えられ
「里帰り」した銃也君(左から2人目)と由佳さん。おばちゃん、おっちゃんと入学祝いのケーキを食べた(京都市西京区)
 フライパンで頭をぶたれた。今も、へこんだあとが残る。手錠をかけられ、トイレに閉じこめられたこともある。義父はただ、恐ろしかった。母はかばってくれない。実父のことは覚えていない。幼児の記憶。もの心がついた時は、児童養護施設にいた。
 「大人なんか、だれも信用できない。信用しない」。高橋銃也君(16)はずっとそう思っていた。おばちゃんと、おっちゃんに出会うまでは。
 「お帰り。高校進学おめでとう」。京都市西京区の北川温子さん(59)と夫で会社員のをさみさん(58)は今年5月、銃也君と姉の由佳さん(19)を自宅に出迎えた。銃也君は里子(さとご)として、この家で小学4年から中学2年まで4年半を過ごした。「おばちゃん、おっちゃん、進学の約束は守ったで」。背の高い銃也君は少し胸をはった。
 由佳さんも、銃也君とともに里子として中学の1年半、北川家で暮らしていた。しかし、突然、大阪で暮らしているという実母が連絡してきた。由佳さんは会いに行って、そのまま母と暮らすことを選んだ。3年後に、銃也君も後を追った。他の里子のことで、おばちゃんと少し口ゲンカしたのがきっかけだ。勢いに任せて家を出た。
 母子3人の暮らしは長続きしなかった。母は男と家を出た。「いつでも京都に帰っておいで」。北川夫妻はすぐ声をかけてくれた。

大人不信、里親の温もりで解けた

 「あんな風に家を飛び出したのに、なんでやねん」。ありがたくて、ありがたくて。「心強かった」
 銃也君と由佳さんは2人で暮らす決断をした。「いつまでも甘えてられへん。やれるとこまでやってみる」。そう伝えたら、夫妻は言った。「それもええ。ただし、銃也、高校へは行きや」「分かったよ」。再出発の祝いにと、洗濯機をくれた。毎月5キロの近江米も送ってくれる。生活保護を受けながらの暮らしには、何より助かる。夫妻との約束。「守らなあかんやろ」
 転校などで1年遅れたけれど、銃也君は今春、大阪の高校に入った。「もともと、頭はええねん」
 北川家を離れて2年。銃也君は由佳さんと一緒に、しばしば遊びに行く。「ここで箸(はし)の持ち方から、礼儀まで、何でも教えてもらった」。おばちゃんの郷里、沖縄にも行ったっけ。通った近所の習字教室、中学で励んだ柔道部…。今は分かる。「家族って、いい」
 高校を出たら、大学を目指す。銃也君には夢がある。「保育士になりたいねん。それに俺(おれ)に家族ができたら、俺らみたいに悲しい思いをしている子どもを引き取って、里親にもなりたい」
 保育士だった温子さんの姿を見ていた。「おばちゃんの影響、むっちゃある」。でも、温子さんには面と向かって言わない。「なんか、照れくさいがな」

里子の存在、介護の力に

義母のケアプランを自ら作成する北川温子さん(左)。ヘルパーの訪問介護を見守る(京都市西京区)
 京都市西京区の北川温子さん(59)は、保育士として大阪市役所に入り、保育所勤務を経て情緒障害児の養育施設で働いていた。
 入所しているのは、親からの暴力や育児放棄などの虐待を受けて保護された子どもたち。30人の集団生活。自分も含め職員は交代勤務。「ここが、未来ある子どもの育つ場なのだろうか。家庭を奪われた子に必要なのは、家庭しかない」。思いが膨らんでいく。
 8年前に退職。夫のをさみさん(58)とともに、自治体の委託で虐待などを受けた子どもを預かる里親に登録した。折から、75歳で認知症になり、特別養護老人ホームに預けていた義母の貴代さん(92)の様子も気がかりだった。
 「石ころみたいにベッドに寝転がったまま。どんどん元気がなくなっていく」。子どもにしても、高齢者にしても、大きな施設は自然な暮らしの場ではないのだ。
 義母が昔から帰りたいと言っていた郷里の京都。大阪から引っ越し、義母を引き取った。同じころ、当時小学生の高橋銃也君(16)や中学生の姉由佳さん(19)ら里子(さとご)もやってきた。実子の次男は高校生。一気に大所帯になった。
 にぎやかな家庭に、義母はみるみる元気になった。口数が増えた。由佳さんや銃也君も、オムツ交換など介護を手伝った。「里親がいて、年寄りがいて、年齢の違う子どもたちがいて。そういう疑似家族で社会を学んでほしかった」。温子さんは言う。
 「それに、ひとりで介護をしていると煮詰まってしまう。里子たちがいるおかげで発散できる。わたしも支えられてるんです」

義母のケアプランを手作り

 受け身じゃなくて、介護にもっとかかわろう。温子さんが3年前から始めたのが、ケアプラン(介護計画)を自分でつくることだ。
 通常はケアマネジャーに依頼して作成してもらう。だが、自分の事業所ばかりプランに入れようとするケアマネに、疑問を感じていた。介護家族の会を通し、本人か家族なら作成できると聞き、「マイケアプラン研究会」(京都市中京区)も知った。京都発で全国に介護計画の自己作成を呼びかけ、その動きを広めてきた市民グループだ。
 毎日の訪問介護、週1回の通所介護、月10日間の短期入所…。研究会の支援も受けながら、自分でケアプランを立てて、それぞれ異なる事業者に予約する。プランを役所に出せば介護給付が受けられる。手間はかかる。自己作成は全国でもまだ例は少ない。
 「ケアマネ任せでは気付かなかった介護保険の仕組みや意義が分かった。みんなで支え合う制度だから、無駄に使わず、でも必要な介護はしっかり主張するようになりました」
 今、北川さん夫妻が取り組もうとしているのは、「ファミリーホーム」だ。民家で5〜6人の里子と、里親や補助職員がともに暮らす。施設と里親の中間的な場だ。高齢者福祉でいえば、グループホームにあたる。
 東京などの先駆施設の実績を踏まえ、国も今年4月に制度化した。滋賀県は予算化したが、京都府や京都市はまだ事業計画もない。自宅を改築して適用を受けるにしても、多くの壁がある。
 だけど、できることから始めたい。人任せ、制度任せでは何も動かない。傷ついた子どもも、認知症のお年寄りも家庭や家庭に近い場で暮らせる「おばちゃんち」が、あちこちにできたら素晴らしい。温子さんの思いだ。
 「里子も義母も、夫だって、わたしにとっては血のつながりのない他人。それが集まって一緒に暮らす。家族って縁。縁だと思うんです」

(京都新聞朝刊、2009年6月19日掲載)