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迫る老い、病…

ヘルパーが支える暮らし 
フリーマーケットで岩本正一さん(右から2人目)は財布を買った。代金を支払う妻の永子さん(同3人目)。両脇で2人の女性ヘルパーが介助する(宇治市・万福寺)
 店頭に並ぶみずみずしい果物。たこ焼きの香り、店員のかけ声。生活感に満ちた空間を、2台の車いすが滑っていく。
 重度の身体障害がある岩本正一さん(68)、永子さん(74)夫妻=京都市西京区=が近所のショッピングセンターに出掛けた。ヘルパー2人も後ろからついていく。買い物や支払いを手伝い、トイレに行きたくなったら介助する。
 喫茶店に入り、4人でコーヒーを注文。正一さんのアイスには、飲み込みやすくするため、とろみ粉を入れてもらう。一口。「これが本物の味や」  夫婦の暮らしすべてにヘルパーがかかわる。午前7時の起床から始まり、自宅には、六つの介護事業所からヘルパーが日替わり、時間ごとに訪れる。
 障害者も、65歳を超えると高齢者の介護保険が優先的に適用される。正一さんは最重度の要介護5、永子さんは要介護4の判定。だが、介護保険のサービスは2人合わせて月約100時間。自立して暮らすには全く足りない。
 幼いころから重度身体障害のある2人の場合、介護保険で足りない分を、障害者自立支援法からの給付で上乗せできる。ひと月当たり、2人が受ける介護は合わせて約800時間になる。それで、なんとか在宅生活が成り立つのだ。
 2人のケアマネジャーを務める長谷川正子さん(65)は「もし介護保険しか使えなかったら、2人とも老人施設に入るしかない。世間もそれが当たり前と思っている。でも、介護が必要な高齢者というのは、障害者そのものなんです。社会は岩本さんの暮らしこそ、在宅介護のモデルにする必要がある」と話す。<

夫婦で在宅いつまで…心細さ募る

 今、障害者2人の暮らしに老いと病が迫っている。
 正一さんは3年前に脳梗塞(こうそく)を患ってから、さらに体の自由が奪われた。永子さんも昨秋に足の炎症で3カ月入院した後、トイレや浴室での移動が自分でできなくなり、ヘルパー2人の介助が付いた。車いすからトイレに乗り移りやすいよう、便座の角度を調整したり、手すりを付けるなどして努力を重ね、最近1人の介助で済むまで回復した。
 「自分でやれることは、自分でやりたい。しかし、どうしても体が動かなくなったら−」。たくましく生きてきた2人にも、心細さが次第に募る。
 障害、老い、病。一人の人間に区別してあるわけではない。縦割りの制度の中で、障害者の負担を増やしたり、高齢者の医療や介護を抑制したり。世の中の流れは、決して温かくはないと感じている。
 「いつまでみんなに支えられ、家での暮らしを続けられるのだろう」
 夫婦そろって、Jリーグ・京都サンガのファン。以前はよく、スタジアムに応援に行ったが、病気後はテレビ中継で我慢している。介護時間や人手の制約も増える中、ヘルパーが帰る午後9時になると、試合の途中でもあきらめて寝かせてもらう。
 毎月末、岩本さん宅にヘルパーが集まり、来月の予定を打ち合わせる。永子さんが切り出した。「次の盆は、(高齢者福祉施設の)ショートステイ(短期入所)も利用してみようかなと…」。帰省するヘルパーたちを気遣った。

「普通の生活」支える人足りぬ

重度訪問介護研修の講師として、透明文字盤で言葉を伝える杉江さん
 今回の連載を通して、何度もヘルパー不足を目の当たりにした。京都市西京区で暮らす岩本正一さん(68)、永子さん(74)夫妻のような重度障害者の在宅生活を支えるヘルパーは特に足りない。第1話で紹介した芝崎晃次君(9)のように「医療的ケア」が必要な場合はさらに厳しく、家族が担わざるをえないことが多い。あまり知られていないが、「重度訪問介護従事者」という資格が取れる研修があると聞き、記者が受講してみた。
 京都府は府内五つの事業所に研修を委託し、昨年度約170人が修了した。日本自立生活センター(京都市南区)の研修は、医療的ケアの講義もある。重度の身体障害者たちが自ら1984年に立ち上げた団体で、障害のある当事者が主に講師を務める。
 脳性まひで重い言語障害がある女性が、車座になった受講者20人に語り掛ける。「何度でも聞き返して下さい。分かったふりはしないで」
 障害者自立支援法の中の「重度訪問介護」は、四肢が動かない重度障害者にヘルパーが長時間連続で付き添う制度だ。重度障害者の在宅生活は個別性が高いため、その人に応じた「オーダーメード」のケアを障害者本人から学ぶしかない。一般的な知識やケア技術は、逆に壁にもなる。このため、20時間の短い講習と半日の実習で資格が得られる。
 講義は歴史で始まった。身体障害者が家の座敷牢(ろう)に閉じこめられ、戦後も「就学猶予」という言葉で小学校に通えず施設に入れられた。70年代から若い障害者が施設や家を飛び出し、制度もない中でボランティアを募り自立生活を始めた。「かわいそうな人たちにやってあげるという発想は間違っている」。当事者の声を聞く重さを知った。
 実技講習では、受講者が交互に手足が動かない障害者役になり、ラーメン食や着替えの介助をする。箸を運んでほしいタイミング、袖を通すときの痛み、一つ一つ介助者に伝えねばならない。普段無意識に動かしている動作を、言葉で伝えるのは難しい。

「医療的ケア」事業者は敬遠

講義中もヘルパーから吸引を受ける。社会参加を医療的ケアが可能にする(ともに京都市南区)
 2日目は「医療的ケア」の講習だ。
 医療行為は、医師や看護師らしかできないと法が定める。だが、病院や施設を出て在宅で生活する人が増えた。胃のチューブで栄養を取る「胃ろう」、排尿障害の導尿…。ヘルパーの従来の仕事の枠を超える「医療的ケア」が求められる。
 しかし訪問看護師は数が少なく、滞在は30分から1時間の「点」でしかない。医療職のみに委ねると、生活が医療者の都合に縛られてしまう。
 一日に何度も必要な痰(たん)の吸引をヘルパーから受け、独りで暮らす筋委縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)患者杉江眞人さん(61)=京都市北区=が講師として語る。杉江さんはALSで全身が動かなくなり、今年に入って気管切開し声も失った。ひらがな五十音を記した文字盤を目でひと文字ずつ追うことで、意思を伝える。
 「最初は介助者それぞれの技量に合わせ、できないことは(頼むのを)避けていました。しかし僕があきらめたら、身体はずっと痛いままです」  ヘルパーの医療的ケアを認めるよう、患者や家族が声を上げ、厚生労働省は2003年から段階的に追認している。だが、医療的ケアに報酬の上乗せはない。リスクや責任を恐れる介護事業所には敬遠されがちだ。
 重度訪問介護の資格を昨年取り、杉江さんのヘルパーになった同志社大4年西直美さん(21)は、杉江さんののどにある100円玉ほどの穴を見て、吸引ができるか怖かったという。「でも、すぐに慣れた。チューブでうまく取れると私もすっきり。体の位置の微妙な調整の方が伝わりにくくて難しい」
 長い付き合いになった杉江さんとは、よくけんかもする。「杉江さんは気分屋だし、あたったりする。特別な人じゃない。だからこそ当たり前に地域で暮らし、生きていけることが大切だと思うんです」

(京都新聞朝刊、2009年6月22日掲載)