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生後4ヵ月「脳死」宣告

でもみんなと同じように
在宅療養に向けた試験外泊で、自宅に戻って来た裕哉ちゃん(手前)。お父さんとお母さん、お姉ちゃんと弟も。一緒に、にぎやかに暮らそうね(6月8日、京都市北区)
 生後2カ月、わが子の息が止まっていた。2年前の1月9日。廣崎博子さん(38)=京都市北区=が長女まりちゃん(4)を2階で寝かせ、1階に戻ると、長男裕哉ちゃん(2)が動かない。必死に呼び掛けても、反応がない。「何が起きたの?」
 ほんの少し前まで、かわいい声を上げていた。
 「お願い、ゆうちゃんを助けて」。救急隊員から医師へ。全力の救命。蘇生(そせい)を願って打った4度目の注射で、心臓の動きが戻った。
 乳幼児突然死症候群の原因の一つとされるRSウイルス感染症だった。心拍は回復したが、酸素不足が続いたことで、重い後遺症が残った。低酸素性脳症。意識が戻らない。入院から約2カ月後、博子さんは医師の一言に凍り付いた。「お子さんは脳死状態です」
 命をつなぐのは人工呼吸器。正式な脳死判定こそ受けていないものの、治療のすべはなかった。「仮予約しました」と、医師からは長期療養ができる転院先を紹介された。
 「早くベッドを空けろということ?まだ何も考える余裕がないのに」。博子さんは、やみくもに相談相手を探した。区役所で見かけたチラシに載っていた小児看護の女性研究者。電話をかけると、優しい声で応えてくれた。
 手を差し伸べてくれる人がいる。博子さんと、夫の毅さん(43)は少しずつ考えられるようになった。裕哉ちゃんのこれからを。

一度の人生 家族で暮らそう

 その年の夏、上京区から北区の建売住宅に引っ越した。自転車で偶然、通り掛かって見つけたバリアフリーの一軒家。裕哉ちゃんを家に迎える準備だ。
 病室で、朝昼は博子さんが裕哉ちゃんに付き添う。毅さんは教師。職場の学校から通い、博子さんと交代して寝泊まりする。
 そんな日々の中、自分たちでやれる医療的ケアを覚えた。口鼻や気管にたまる痰(たん)などの吸引。鼻から管での栄養注入。「苦しかったり、気持ち悪くないように」。まぶたを閉じることができないため、充血を防ぐ目薬も欠かせない。
 今年3月、初めて試験外泊に臨んだ。自宅居間の窓のそば。生まれてから入院前まで使っていたベビーベッドに、そっと寝かせる。背の高さは約50センチから85センチへ、体重は4960グラムから13キロに増えていた。色白のきれいな顔はつややかで、手足がいつもより柔らかく感じられた。
 4月に迎えた2度目の外泊。前回より2日長い4泊5日。4日目の朝、裕哉ちゃんの脈拍が普段よりも早い。熱が38度以上ある。すぐ病院へ。肺炎だった。
 在宅療養は感染症などの不安が付きまとう。「怖いです。もう苦しい思いをさせたくない。でも、ゆうちゃんも、みんなと同じように一度の人生。家族の話し声や地域で暮らす喜びの中で成長してほしい」。博子さんも、毅さんも願う。
 6月8日、裕哉ちゃんは家に帰ってきた。8泊9日の外泊。在宅療養の実現への大きなステップだ。「勝手な親の目だけれど、ゆうちゃんは家にいる時、きらきらしてみえる。だから困難でも挑戦したい」

確かな成長 「生」の喜び

生後1カ月半、家で元気に過ごしていた裕哉ちゃん。このころも、今もかけがえのない家族の一員だ(2006年12月、京都市上京区)
 京都市北区の廣崎裕哉ちゃん(2)はウイルス性の感染症にかかり、医師から「脳死状態」と言われたが、確かな成長を続けている。2年半近く過ごしてきた病室から出て、在宅療養を実現するのが今の目標だ。
 6月8日、3度目の試験外泊の初日。病棟の看護師が「ゆうちゃん、体調良くて、よかったね」と声を掛ける。母の博子さん(38)が押すバギー型の車いすに乗り、病院の外に出た。父の毅さん(43)も駆け付け、福祉タクシーでわが家へ。
 保育園から、姉のまりちゃん(4)と弟の貴久ちゃん(8カ月)が帰って来て、家族5人がそろった。おなかをすかせたまりちゃんが裕哉ちゃんの近くで、かき氷とそばをほお張る。貴久ちゃんは泣いたり、笑ったり忙しい。「みんな大切なわたしの子ども」。博子さんが目を細める。
 「おやすみ」。裕哉ちゃんのベッドのそばに布団を広げ、一家全員、並んで眠った。
 5日目、ヘルパーらが家に来て、裕哉ちゃんの入浴を手伝った。1人が体を支え、訪問看護師が手動の人工呼吸器を持つ。博子さんが体を洗う。シャンプーをしながら「かゆいところはないですか?」。わが子なのに、ちょっぴり美容院風。みんなの笑いを誘った。
 次の日、裕哉ちゃんは本当の美容院デビューを果たした。2年以上の入院生活で、肩まで伸びていた髪をばっさり。「長いのも良かったけど、男の子だもんね」

「何か感じてる。可能性信じ」

 「今、ゆうちゃんが在宅療養を目指せているのは、出会った多くの人の支えがあったから」と博子さんは思う。
 落ち込んでいた時、京都大教授の鈴木真知子さん(小児看護学)が親身に相談に乗ってくれた。偶然手にした医療の勉強会のチラシを頼りに、連絡を取って以来の付き合い。電子メールのやりとりは700通を超える。
 「廣崎さんも多くの人と同じように、わが子を思うあまり、まわりが見えなくなっていた」と鈴木さんは振り返る。「急性期病院で裕哉ちゃんのような子をケアする機会は少ないのが現実。その中で、医師や看護師は頑張って支えてくれている。一緒に『在宅』を目指せる関係が大事だよ、と言葉を送ったんです」
 京都や滋賀などで多くの難病の子どもと家族を支援してきた鈴木さんは、裕哉ちゃんの療養方針を決める医師らとの会議にも立ち会ってくれる。両親と病院側の意見がすれ違いそうになっても、話し合いが前に進むよう支援してくれた。
 人づてに知った人工呼吸器をつけた子の親の会「バクバクの会」のお母さんたちも心強い。重度障害の子が地域の学校に通っていることなど、希望がわく話を病院への見舞いで聞かせてくれた。
 試験外泊のさなか、臓器移植法改正案のニュースが流れた。「脳死は人の死か」。さまざまな思いが交錯する。
 「医療は進歩を続けている。だが、人の力すべてを解明できているわけはない」。博子さんと毅さんが痛切に思うことがあった。
 医師に「脳死状態」と言われてから、半年ぶりに行った裕哉ちゃんの脳波検査。それまでグラフは横一線で反応はまったくなかったのに、数値が刻々と変わる「波」が現れていた。
 「ゆうちゃんはいつも何かを感じ取っているはず」。話さなくても、手足が動かなくても、その存在をかけて生の意味と喜びを体いっぱいで語っている。「生きている限り、可能性を信じたい」
 何より確かなこと。大きな愛の中で、命がときめいている。
=連載「命ときめく日に」は今回で終わります。

(京都新聞朝刊、2009年6月23日掲載)