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春を待つ

移住希望者、新たな光に
「彼岸の道つくり」の休憩中、Iターン希望者のことを打ち明ける中川さん(左)。うっそうとした牧山への一本道に、低く力強い声が響いた(南丹市日吉町中世木)

 しとしとと小雨が降る二十二日朝、南丹市日吉町の牧山地区への一本道に、軽トラックが何台も止まり、ザッ、ザッと落ち葉を片づける音が響いていた。住民十六人全員が六十代以上という牧山の、恒例行事「彼岸の道つくり」だ。集落の男性で一番若い中川輝男さん(71)は、この日みんなに打ち明ける話があった。

 今こそ受け入れねば

 休憩中、道端に腰掛けた住民たちの雑談が盛り上がったところで、中川さんは切り出した。「実は、牧山に住みたいという人がいるんや。六十代の夫婦や。もう、家も見に来てくれてる」

 「まあ、そういう人もいるわな」「ええことちゃうか」。どことなく白けた空気が漂い、それを合図に掃除が再開された。中川さんも、それ以上言わず、ほうきを手に落ち葉をかきはじめた。

 中川さんは京都府から依頼され、Iターン希望者の相談に乗る「京の田舎暮らしナビゲーター」を務めている。二月末、定年を機に農業をしたいという府南部の男性に出会った。「まじめな人柄だった。大事に受け入れたい」。住民がそろう道つくりの日、話そうと決めていた。

 「みんな、『わしで終わり』とばっかり考えとる」。予想していたとはいえ、移住者の登場に希望を見いださない隣人たちが、中川さんは歯がゆかった。「わしらの年から言うても、牧山が生きるか死ぬか、あと五年が勝負」。今こそIターンを受け入れなければならない。集落の将来を、あきらめるわけにはいかない。

 しかし、中川さんにみんなを責める気持ちはない。都会で会社勤めをしていた自分が十年前に帰ってくるまで、踏ん張って村を守ってくれたのは幼なじみの住民たちだった。

 昔の活気をもう一度

 牧山にはかつて百人以上が住んでいたが、終戦後、離村が続いた。「なんで牧山みたいなとこに住むんや。下りてこい」。ある旧日吉町長は言い放った。最近は限界集落と呼ばれる。両親や祖父母、そのずっと前の先祖が必死に紡いできた牧山の営みが、消し去られていくようだった。村を守る住民に、無力感ばかりが募った。

 「Iターンはうれしいけど、この先、わしらだってどうなるか分からんし…」。牧山に住み続けた田中豊一さん(76)が、複雑な胸の内を語った。時間が逆戻りするとは思えない。「でも、村の気持ちはやっぱり一つや」。昔のように活気ある牧山を、もう一度みんなで見てみたい。

 中川さんも言う。「住みたい人がいるのは、牧山だって捨てたもんじゃないということ。ほんまにうれしい話なんや」

 その夜九時過ぎ、中川さんは自宅のガレージ前で、ホウレンソウの出荷に追われていた。辺りは、わずかな家の明かりを除けば真っ暗だ。「もう一つ、明かりが増えたらええなあ」。新たな仲間に野良仕事を教える日を思い、冷えた手を何度も息でぬくめながら、作物を包んだ。

 二十六日朝、牧山で屋根や田畑が雪化粧した。標高三百メートルの山あいに、春の訪れは遅い。しかし、村の中心に枝を張るサクラのつぼみは、少し緩み始めていた。

=「牧山通信」は今回で終わります。

【2009年3月29日掲載】