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(10・完)京で夢追い 北陸へ帰った女性

ホームはふるさとに直結する 0番線の声 心の支えに
北陸方面の列車が出発する0番ホーム。近代的になっても、大きな荷物を抱える人々の姿や飛び交うお国言葉は変わらない(京都市下京区)
 北陸方面への列車が発車するJR京都駅「0番ホーム」。去年の秋、クミコさん(三〇)=仮名=はかばんを手に特急列車に乗った。十年間暮らした京都を離れ、実家へ帰る。「汽車で一時間二十分。いつでも来られる」。そう思っていた。でも今はもう、すごく遠く感じる。
 高校まで福井の田舎町で育った。祖父は町長。いつも特別な目で見られる気がした。しがらみのない都会にあこがれた。
 大学の入学式を終え、改修中の京都駅まで母を見送った。心細さで涙が出た。「お母さんと一緒に『雷鳥』で帰るか?」。明日から授業。帰れるわけないやん。あまのじゃくなわたしの性格を知って掛けてくれた言葉。
 友達もできた。恋人も。駅は盆や正月に帰省する時に使うだけ。「ほんでえ」「ほやって」。0番ホームは、真っすぐつながる関西国際空港行きの30番と合わせ日本最長の五百五十八メートル。語尾が少し上がる福井弁があちこちで聞こえる。駅ビル誕生で新しくなり、番号も五年前に1から0になったが、温かみは変わらない。「わたしの中ではここは京都じゃなく福井」。ふるさとと直結するこのホームの存在はどこか心強かった。
 大学を出て、京都で働きながら司法書士を目指した。六回目の挑戦の昨年、また届かなかった。五条烏丸の自室にこもり、本ばかり読んだ。
 試験の後、兄が地元の町議選に出た。家族総出の選挙で、ウグイス嬢も務めた。失意の中で久々に触れた懐かしい顔。当選翌日、「福井駅まで乗せて行って」。母に掛けた声に涙が交じった。「あんたは何年も頑張った。帰ってくればいい」。母も泣いた。
 ずっと意地があった。「帰ったら負け犬やろう」と。でも、ふるさとや家族の温かさに、やっと気づいた。「京都の十年は無駄じゃなかった。わたしはわたしだと自信を持てた」。今も福井で司法書士の夢を追う。
 「おはよう」「部屋帰ったで」。京セラ東京原宿事業所に勤める川那辺勝さん(五一)=上京区=は一日二回、妻にメールを送る。単身赴任はもう四年半、京都に帰るのは月一回だ。
 十六日。帰省を終え、東京行きの新幹線ホームにいた。京都生まれの京都育ち。今年も家族五人で「大谷さん」へ墓参りできた。送り火を見られないのが心残りだ。
 駅ビルを仰ぎ見る。無機質。東京の建物のように見える。何か、しっくりこない。でも、変わらないものもある。「おおきに」。京都のはんなりとした言葉。京菓子や漬物の京みやげ。「やっぱり落ち着きますね。人もたくさんいませんから」
 のぞみ12号が入線してきた。「また仕事や」。頭をオンに切り替え、ゆっくりと乗り込んだ。

【2007年8月20日掲載】