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(1)手話で親子だんらん

音を越える
松本さんの家族のだんらん。手話を交えながらの会話で笑顔が広がる(京都市西京区)
 「何描くの」「かたつむり」「お父さんの顔を描いてよ」「えー、無理」「描くのに失敗したから、新しい紙取って」。どこにでもありそうな家族だんらんのひととき。だが、この会話、声ではなく手話だ。
 京都市西京区の松本英樹さん(三七)、千晴さん(三七)夫妻を手話通訳士とともに訪ねた。二人ともほとんど耳が聞こえないが、長女の有紗ちゃん(九つ)、二女加奈子ちゃん(三つ)は聞こえる。家族はどのようにして暮らしているのだろう。
 夫婦の会話は手話が柱だ。うれしい。楽しい。しんどい。声の大きさや張りの代わりに、表情や手の動きの力強さなどで感情が伝わる。夫婦げんかももちろん手話だ。
 子どもたちが加わると口の形の読み取りも大切な「言葉」になる。子どもたちが松本さんを呼ぶときは、そっと体をたたき、大きな声なら聞き取れる千晴さんには「おかあさん」と呼び掛ける。
 補聴器を身に着けるのはバイクと車を運転するときだけだ。補聴器で音を感じることはできるが聞き分けにくい。周囲のすべての音を拾い雑音になってしまう。
 夫妻は京都府立聾(ろう)学校(右京区)幼稚部の同級生。松本さんは高等部まで通い、卒業後は就職して現在は市内の電気機器メーカーで働く。府聴覚障害者協会の活動にも熱心で、帰宅が深夜になることもある。
 千晴さんは幼稚部の後、市内の難聴学級で学んだ。二人は十二年前に偶然、再会し二十六歳で結婚。「デートの約束はファクスでやりとりしました。親に気づかれないように暗号も作った。いまは携帯電話のメールがあるから、便利です」
 有紗ちゃんや加奈子ちゃんが生まれたばかりのころは苦労した。泣き声が聞こえないからだ。赤ちゃんのそばにマイクを置いて泣き声を拾い、音に反応して振動する装置で寝ていても気が付くようにした。「それでもマイクがずれていないか、十分ごとに起きて確認したこともありました」。
 松本さんの運転で、家族と一緒に近くのレストランに向かった。運転免許は、補聴器を付けて十メートル先からクラクションが分かれば取れる。「手話をしながら運転すると、子どもたちに『危ない』と怒られるので、おしゃべりはやめてます」
 レストランで松本さんはメニューを指さして注文した。「トンカツのソースはどれにしますか」。店員がそう尋ねると、すぐさま有紗ちゃんが手話で訳して伝えた。助け舟がなんとも自然に出てくる。
 夫妻は子どもたちに手話を教えてはいない。だが有紗ちゃんは二歳のとき、手話で「パパ、だっこして」とせがんだ。松本さんはその一瞬を忘れることはないという。「うれしくて、だっこした後、高く、高く娘を抱え上げてしまいました」

手話=家族

【メモ】聴覚障害には、鼓膜や外耳道に障害がある伝音難聴と、聴神経や内耳に障害がある感音難聴、その両方が伴う混合性難聴がある。補聴器が効果的な伝音難聴であるかや、失聴時期などでコミュニケーション手段が違う。聴覚障害で身体障害者手帳の交付を受けているのは、京都府内で約1万2800人いる。全日本難聴者・中途失聴者団体連合会は、軽度も含め全国で約600万人が聴覚に障害があると推計する。70歳以上では2人に1人が難聴ともいわれている。

【2007年8月7日掲載】