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学生たちへ

生きていることは奇跡と気づいて
亡くした長女の話をするとき「紗利と同じ空間にいるように感じる」という高田さん(1月8日、兵庫県尼崎市・園田学園女子大)
 「これが家族4人で撮った最後の写真です」。今年1月、園田学園女子大(兵庫県尼崎市)の大教室。講師に招かれたSIDS家族の会の高田裕紀さん(40)=大阪市住吉区=は学生たちに語り始めた。卓上に置いた写真では、3歳の長女紗利ちゃんが七五三でお化粧をして、着物でおめかししている−。
 1999年秋、七五三参りをした翌日。自宅で昼寝中だった紗利ちゃんの顔色が白くなっているのに、裕紀さんの母親が気付いた。救急隊や搬送先の医師らが懸命の蘇生(そせい)を試みたが、原因不明の突然死。裕紀さんは信じられなかった。「寝てるだけ。あしたになったら目を覚ますはず」

静かな家に悲しみ

 その晩は自宅で夫と1歳の長男と家族4人でふとんを並べた。翌朝、目覚めない紗利ちゃんの目を開いてみた。いつものキラキラした瞳ではなかった。「もう起きることはないんだ」。初めて現実として受け止めた。
 本当に悲しみが襲ってきたのは葬儀の後。おしゃべり上手だった長女がいない家は何と静かなことか。「大事な紗利を家族から奪ってしまった」。裕紀さんは自分を責めた。
 七五三の帰りに車から夜空を見上げて「お月さんが後を追いかけてくる」なんて無邪気に話していた娘。「紗利に会いたい、ぬくもりを感じたい」。裕紀さんは近所の公園に娘の姿を探した。でも、見当たらない。「死んだら会えるのでは」。トラックが自分をはねてくれたらと願ったこともあった。
 いま振り返っても、亡くしてから半年間の記憶がほとんどないという。いろんな人に声もかけられたが、空しく響くばかりだった。「また産んだらいいやん」「小さいうちでよかったね」「元気そうでよかった」−。

ずっと面倒みたる

 励まされたのは、幼稚園に通う近所の男の子の言葉だった。長男を指して「弟と思ってずっと面倒みたる」と言いに来てくれた。葬儀会社の担当者は「お母さんが納得されてから連絡くださってもいいですよ」と気遣ってくれたそうだ。SIDS家族の会の会員も、初めて電話をしたら、すぐに手紙をくれた。
 遺族が立ち直れるかは、出会う人たちに影響される。裕紀さんはそう実感している。
 「今は、娘に『お母さん頑張ったね』って言ってもらえるような、恥ずかしくない生き方をしていきたいって思っています」
 聴講したのは人間看護学科の看護師や助産師の卵たち。約1時間、私語もせず耳を傾けた。
 講演後、授業を企画した川村千恵子准教授(現甲南女子大准教授)が尋ねた。「つらいとき、声かけって要る?」。裕紀さんは首を横に振った。「そばに寄り添ってくれるだけで、いいかもしれない」
 裕紀さんが講演を引き受けたのは、いのちの大切さを伝えたかったから。乳幼児虐待や残酷な事件が後を絶たないが、「子が生きているのは奇跡」と気づいてほしい。
 学生たちは感想をつづった。「大切な人がそばにいる幸せ、ありがたさを感じることができました」「ご家族の支えになれるような人になりたい」−。
 人に語るには勇気もいる。その歩みを踏み出して良かったと、裕紀さんは心から思う。

【2010年5月7日掲載】