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「6人家族」の絵

大事に扱ってくれた病院
長男が描いた「6人家族の絵」。右上の空に浮かぶのが旬ちゃんと赤ちゃん。亡くなった意味が分かってきたのか、最近は小さい姿で家族のみんなを見守っている
 分娩(ぶんべん)室に入る直前まで、何の異常もなかった。陣痛が始まったと思ったら、赤ちゃんの心音が聞こえないという。京都市左京区のアユムさん(37)、ユキさん(36)夫妻=仮名=が「第2子」の男児・旬(しゅん)ちゃんを亡くしたのは2006年2月。胎盤剥離(はくり)による死産だった。
 予想もしなかった事態。助産師が泣きながら病室に旬ちゃんを抱いて連れてきてくれたことにアユムさんは驚いた。「赤ちゃんと会えるなんて思いもしなかった」

ベッドを並べて

 ユキさんは数日間、病室で旬ちゃんとベッドを並べた。看護師たちは赤ちゃんに声をかけてくれる。火葬場に向かう際には、看護師長や担当医たちがタクシーを見送ってくれた。「赤ちゃんを大事にしてくれたのがうれしかった」。ユキさんは今も感謝の気持ちを何度も口にする。
 旬ちゃんの死から1年後。夫妻は病院を訪ねた。法事の代わりにと、夫が提案した。突然の訪問にもかかわらず、師長は笑顔で迎えてくれた。夫妻は師長と世話になった助産師に、お礼の手紙と友人が旬ちゃんをイメージして描いたポストカードを手渡した。
 赤ちゃんは亡くなったが、ユキさんはむしろ医師の判断や対応が信頼できると感じていた。だから、次の「第3子」の妊娠時も同じ病院を選んだ。ところが、今度は早々に重度の腹壁破裂とみられる胎児異常が見つかる。母体への影響も懸念された。結局、夫妻は人工妊娠中絶を選んだ。
 「第4子」を妊娠した際も同じ病院で産むことに迷いはなかった。「先生はこれまでの経過を知っていて、信用していたから」とユキさんは振り返る。

「ここまで来た」

 担当医は口数が少なく、愛想がいいわけでもない。それが09年8月、出産間近になって、顔を上げてはっきりと言葉をかけてくれた。「ようやくここまで来ました」
 その言葉の通り、無事に男の子を授かることができた。3年前に旬ちゃんのみとりに立ち会った助産師は、祝福にわざわざ病室を訪ねてきてくれた。
 旬ちゃんが亡くなった後、アユムさんは周囲から「また産めばいい」と言われたことがある。しかし「この子の代わりはいない」。逆に、死産を知らなかった人から赤ちゃんの成長を尋ねられると「この人の中ではまだ旬は生きている」と思った。
 心の支えになったのは、同じように赤ちゃんを亡くした知人の言葉だ。「つらいといって無理に忘れることはないよ。たまには思い出し、泣いてやって。この子が存在した証しになるから」
 旬ちゃんの誕生日で命日の2月13日には毎年、第3子の分も合わせて家族でお祝いをする。居間の棚に置く骨つぼにケーキを供え、ジュースで乾杯する。
 幼いながら旬ちゃんの誕生を心待ちにしていた長男はこの春、小学生になった。たまに「会えへんのかな」なんて口にする。お絵かきが好きで、最近「6人家族」の絵を描いた。
 パパとママと弟と自分が仲良く並ぶ。右上に小さく浮かぶのが旬ちゃんともう一人の赤ちゃん。お空から家族を見守っているかのようだ。

【2010年7月16日掲載】