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生後12日

がん転機に生きる決意
ガラスの小さな筒に入った晴斗君の遺髪。サヨコさんは外出時にはいつも大切に持ち歩いている
 仏壇の前でじっと座り、自分を責めてばかりいた。「何でわたしだけ生きているの」。生後12日で逝ってしまった長男。独りで寂しがっているに違いない。自分がいま死んだら会えるはず−。
 京都市北区のサヨコさん(40)=仮名=は9年前の夏、長男の晴斗(はると)君を亡くした。悲しみに暮れる日々だった。
 妊娠中の経過は順調だった。その3年前に産んだ長女と比べても胎動は活発で、男の子の誕生に胸が躍った。
 出産の半日後、顔色が良くなかったため、晴斗君はNICU(新生児集中治療室)に移る。肺に羊水が入ったという。サヨコさんは回復すると疑わなかったが、10日目に容体が急変した。それまで保育器の中で目をきょろきょろさせていた長男が弱っているのが一目で分かった。
 深夜、病院からの電話が鳴った。駆け付けた治療室でサヨコさんは初めて晴斗君を抱っこした。小さな体には管や線がつながれたまま。明け方になって、心臓が停止した。
 サヨコさんは長男を抱いて夫の実家に戻った。「やっとそばに来てくれた」。鼻筋が通った顔立ち。いとおしくてたまらない。添い寝をすると、不思議な安心感に包まれた。

やさしくない

 火葬を済ませても、考えるのは長男のことばかり。つらい現実を考えずに済む睡眠時間が待ち遠しい。やがて、夜中に目が覚めると眠れなくなった。
 心療内科に通い始めたが、出産した病院の近くを電車で通るだけで、呼吸が苦しくなった。長男が最期を迎えたとき、看護職らの対応にやさしさが感じられず、その後病院には1度も足を運んでいない。
 行政の新生児訪問も縁がなくなる。長女の3歳児健診の際、保健師に生まれたばかりの下の子を亡くしたことを打ち明けても「そうですか」と流された。
 「亡くなったからこそ、その後どうですかと、公的機関が訪ねて来てくれたら、どれほどありがたかったか」

長女の姿が救い

 救いは長女の無邪気な姿だった。ままごとで遺骨に「どうぞ」と話しかける。覚えたてのつたない字で「はやくなおってね」と弟に手紙を書いていた。
 「思い出が少ない小さいうちでよかった」と周囲からはよく言われた。「それは違う」。悲しみをなかなか理解してもらえない。サヨコさんはいつ長男が迎えに来てくれてもいいと思っていた。
 大きな転機は3年前。検診で乳がんを告知された瞬間だ。「ちょっと待って」。長女のためにも生きなくてはならない。帰宅するなり、晴斗君の遺骨に報告した。「ごめん、お母さんはまだ死ぬわけにはいかないわ」。早期での発見は、長男のおかげだと思えてならない。
 幼い子どもを失った同じような境遇の人たちと知り合ったことも支えになった。月日がたつことで、立ち直れる部分があると思う。でも、悲しみを一生背負っていくことに変わりはない。
 「今は元気でいたい。いつか人生を終えたとき、晴斗にまた会える。そう思うと楽しみです」

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 日本で1年間に約100万人が誕生している一方で、3万人を超える赤ちゃんが胎内で、あるいは生後1年までに亡くなっている。予期せず愛児を失った家族の悲しみは計り知れない。遺族にいかに寄り添うか。痛みを分かつことはできないのか。当事者の声に耳を傾け、ケアのあり方を探った。(日下田貴政)

【2010年4月2日掲載】