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オウム裁判終結  「なぜ起きた」なお闇に

 地下鉄、松本両サリン事件、坂本堤弁護士一家殺害事件など多くの人の命を奪い、社会を震撼(しんかん)させたオウム真理教の一連の事件をめぐる刑事裁判がきのう終わった。
 元幹部遠藤誠一被告の上告審判決で、最高裁第1小法廷が被告の上告を棄却。松本智津夫死刑囚らに続く13人目の死刑が確定する。
 1995年3月の教団への強制捜査から16年8カ月。時間は費やされたが、裁判を通じて教団と信者が凶悪犯罪に突き進んだメカニズムが解明されたとは言えない。
 社会にとって実効性のある再発防止に結びつけるには「なぜ起きたのか」という、根本的な問いに答えを出す必要がある。事件の意味や教訓を、今後もさまざまな角度から検証しなければならない。
 裁判が終わっても割り切れなさが残るのは、一連の犯行を指示した松本死刑囚が公判途中から口を閉ざしたからだ。事件の核心について何も語ろうとはせず、被害者や遺族へ謝罪の言葉もなかった。
 それでも松本死刑囚の一審は約7年10カ月を要し、公判回数は257回に及んだ。検察側は両サリン事件の被害者数を大幅に絞り込み、一部の事件で起訴を取り消す異例の措置をとったが、弁護側の証人尋問は細部にわたり、引き延ばしとの批判を浴びた。阻止できなかった裁判所の訴訟指揮にも問題があったと言わざるを得ない。
 審理の迅速化に向け、公判前整理手続き導入の契機となるなど裁判の在り方を変えたが、真相を究明する場としての刑事司法の限界も露呈した。裁判の終結は一つの区切りだが、幕引きではない。
 重い後遺症で苦しむ人にとっては通過点でしかない。救済にもゴールはない。被害者や遺族に給付金を支給する救済法が成立したのは地下鉄サリン事件から13年後。米中枢同時テロの際、米政府が1カ月以内に被害者補償の基本法案を整えたことを考えれば、わが国の救済策がいかに遅れていたかは明白だ。内容を充実させ、心のケアなども定期的に行うべきだ。
 特異な人たちが起こした特殊な事件-。裁判の長期化もあって、社会の中でそう記憶されていないだろうか。残忍な無差別テロに及んだのは、それまで知識や分別があると思われていた人たちだ。ところが、ひとたび教祖の言説を信じ込むと、疑問を持ったり、自分で考えたりすることに罪悪感を抱く。心をからめとるカルトの怖さだ。
 社会の格差は広がり、当時よりも閉塞感が強まっている。教団は二つのグループに分かれたが、若者を中心に入信が続いている。
 公安当局は警戒を続けるが、事件の被害者が求める教団の解体には信者の脱会と社会復帰が欠かせない。周囲は何ができるのか。社会の懐の深さも問われている。

[京都新聞 2011年11月22日掲載]

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