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「水、ガス、電気、家、友人、家族、命。これらのことは全て、当たり前ではない」
東日本大震災のあと、仙台市から京都市伏見区に引っ越してきた清水里織さん(12)=桃山中1年=がつづった一節だ。論文コンクールの優秀作品として先月16日付本紙夕刊に掲載された。
「昨日まで、普通に話して、働いて、遊んで、普通に生活していた人達の命が、一瞬のうちに、沢山奪われてしまいました」
あの3・11から世界は一変した。「当たり前は、当たり前ではない」と清水さんは感じた。
同時に、どこにも電気の光がない中で小さな発見をする。「星空が本当に本当にきれい」
「心の故郷」の危機に
「当たり前」を失って迎えた新年。千年に一度と言われる東日本大震災と東京電力福島第1原発事故は、私たちの文明や価値観を根底から揺さぶった。
震災前から行き詰まりを見せていた日本社会は、大きな転換を迫られている。地方の疲弊、高止まりの失業率、機能不全の政治、コスト優先の危うさ…。震災が、こうした矛盾をあらわにし、被災地をいためつけた。
これまでの「当たり前」をなくした世界で、私たちは何を大切にしていけばいいのか。これまでと違った、新しい地域づくりにもがく復興現場と手を携え、日本の再生をめざしたい。
この正月、被災地ではどれだけ家族だんらんの光景がみられるのだろう。震災で避難する33万人余りの中には、帰りたくても帰れない人が少なくない。
昨年末、政府は被ばく放射線量が高い原発近辺を「帰還困難区域」に再編する考えを示した。最低5年は帰れない区域だ。
評論家の柳田邦男さんは、いつでも帰れる「心の故郷」があれば、人生で挫折しても生き直す力を見いだせる、と書いている。その「心の故郷」を守れるのか消滅させるのか、今が「歴史の分岐点」だという。
震災後、小学唱歌「故郷」がよく歌われるようになった。大正時代につくられ、都会に働きに出た人たちが生まれ故郷をしのんで歌った。日本近代化の原動力となった人びとを支えた、まさに「心の故郷」の歌ではなかったか。
地元の福島民報の記事で、原発周辺の楢葉町や南相馬市で復興計画・ビジョンづくりが進められているのを読んだ。「きぼう計画」と名付けられていた。
被災地では復興論議の真っ最中だ。原発災害の克服や生活基盤づくり、産業再生のほか、再生可能エネルギーによる循環型まちづくりなども提案されている。それらを貫くのは、失われた故郷の再建への強い願いではないか。
中央と地方という主従関係を断ち切り、被災地が自立の道をめざす復興であってほしい。住民同士の激しい議論を通じ、お任せにしない民主主義が鍛えられていくに違いない。ここを起点に日本各地の地域再生へつなげたい。
リスクを生き抜く
福島県のコメ農家が、やり場のない怒りをぶつけた。「除染して新しい土を持ってくればいいというものではない」
先祖から受け継ぎ、大事に養ってきた田んぼの土。原発事故による放射能汚染が、人びとから大地を奪った。
原発事故が及ぼす影響は空間的、時間的に長大で、もたらす損失は計り知れない。目に見えない放射性物質は気流や海流に乗って拡散し、しかも発する放射能は長い年月消えることがない。 放射線被ばくへの不安が広がっている。私たちは、リスクにどう向き合えばいいのか。
原発の「安全神話」が崩壊し、科学技術に対する視線は厳しくなった。原発事故の対応や低レベル放射能の評価などで見解が分かれ、政府や専門家への信頼が揺らいでいるのが現状だ。
そうした中で、市民自身による放射線量測定など、行政任せにしない活動が各地で広がっている。福島県の小学校では父母たちが自主除染に立ちあがった。
リスク社会を生き抜くには、科学技術を正しく使う必要がある。福島の除染現場で専門家と市民が連携する光景に、新しい方向が見えてくるような気がする。
持続可能な地域へ
エコノミストの水野和夫さんは、福島第1原発事故に「近代史」の終わりをみている。近代の爆発的な成長を支えてきた技術の進歩神話が崩れ去ったからだという。
1973年の石油危機から中国など新興国の台頭に至り、利潤を求め膨張を続けてきた資本主義に限界が見えてきた、との指摘も出てきている。
超円高とデフレに苦しむ日本を襲った震災と原発事故。この国難を抜け出すのに、これまでの「成長」を前提とした思考やシステムでいいのか。根本的に問い直す時期に来ている。
景気回復が必ずしも賃金の上昇につながらない経済構造。大都会に資金と人材が集中し、地方が衰退している現実を、何とかできないか。
21世紀は「脱成長の時代」と言うのは水野さんだけではない。ゼロ成長でも持続可能な社会を模索したい。
その中心となって担うのは地域だ。エネルギーや生産、消費、金融、医療・介護などを備え、利益やサービスが循環する。そこで欠かせないのは、地域の自治であり民主主義だろう。
東北の復興地と共に、未来の地域を見すえる年にしたい。
[京都新聞 2012年01月01日掲載] |