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道徳の教科化  心に評価はなじまない

 道徳教育の充実策を検討している文部科学省の有識者会議が、現在は「教科外活動」である小中学校の道徳を、検定教科書を使った正式な教科にすべきだ、との提言をまとめた。深刻化するいじめ問題への対策という。
 子どもに善しあしの判断や社会の規範を教えることが大切なのは言うまでもない。しかし、「道徳」の答えは一つではない。子どもの置かれた状況もさまざまだ。国が認める画一的な「良い子、良い生き方」像や価値観を押しつけることになりはしないか。もっと慎重に議論を深めるべきだ。
 政治が道徳教育の教科化を掲げるのは今回が初めてではない。2000年に森喜朗首相の私的諮問機関が提言、教科化は断念したが副教材として「心のノート」が導入された。第1次安倍晋三政権も意欲を示したが、文科省の中央教育審議会が「教科にするには検定教科書や数値評価が必要だが、道徳教育ではいずれもなじまない」として見送った経緯がある。
 今回の提言は、安倍政権の教育施策の司令塔・教育再生実行会議が春に出した提言をほぼ踏襲している。審議入りする中教審が反対を唱えにくいよう、「点数化を避けて記述式の評価に」など問題とされた項目を微修正している。
 しかし、教科化を急ぎながらも、道徳を学校現場で教えることの困難さについて正面から議論された形跡はみえない。道徳は既に小中学校で週1時間、年間35時間を履修している。教科にさえすれば規範意識が高まるというのは短絡的すぎないか。
 大半の子どもは「いじめはいけない」「命は大切だ」とわかっている。問題は、経済格差や虐待など家庭環境や、友人関係の力学を背景に、その意識を育んだり、表したりできない現実があることだろう。特定の教科だけでなく、少人数学級などで教師と子どもが向き合い、悩みながら成長できる環境を整えることこそ肝要ではないだろうか。
 点数評価から記述評価に変えても、子どもの多様な内面に優劣をつけることに変わりはない。検定教科書で一元的な価値観を政府が示すことは憲法19条の思想・良心の自由に反する恐れもある。
 安倍政権は学習指導要領を改定する18年を待たず、道徳教科の前倒し実施を検討する方針だ。前のめりな姿勢に、保守的な愛国心教育推進への疑念がつきまとう。
 身内の自民党内から「いろいろな主義主張の教科書が出てくるのでは」と懸念が漏れること自体、教科化の難しさを示している。拙速を避け、丁寧な議論が必要だ。

[京都新聞 2013年11月15日掲載]

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