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大学と軍事研究  戦争協力の反省忘れず

 日本学術会議が「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない」と決意表明したのは、終戦から5年後の1950年である。
 科学者の戦争協力を「強く反省」し、「平和的復興」への貢献を誓って学術会議が発足した翌年。67年にも繰り返し表明している。
 その学術会議が今年6月、「安全保障と学術」について検討委員会を設け議論を始めた。防衛省が大学などに「安全保障」に利用する技術研究を公募し、資金を出すようになったからだ。
 安全保障の名目だが、軍事利用につながりかねない研究に、大学や科学者はどう向き合うべきか。学術会議はこれまでの決意からかじを切るのか。議論の行方が気がかりだ。戦前・戦中の反省を踏まえた議論であってほしい。
 防衛省の公募は昨年に始まり、本年度は大学5件、公的研究機関2件、企業3件の計10件が採用された。応募は44件、このうち23件が大学・大学共同利用機関だ。
 大学の研究費は減り続けている。国が支出する国立大の運営費交付金は、この10年間で1194億円、1割ほど減少した。私立大への補助金も削減されている。腰を据えた研究が難しくなっているのが現状だ。
 喉から手が出る研究費とあって、米軍からの資金提供の受け入れも静かに広がっているという。ノーベル物理学賞の益川敏英京都産業大教授は「一度研究費をもらってしまうと、抵抗力がなくなる」と危機感を示している。
 民生利用と軍事利用の境目が曖昧で、問題を複雑にする。学術会議は3年前に行動規範を改め、科学者が意図に反して破壊的行為に悪用されることも認識して、社会に許される選択をするよう求めている。胸に刻む必要があろう。
 安倍政権は武器輸出禁止に代わって防衛装備移転三原則を決定、海外に武器を売り込むのに熱心だ。防衛省は民生技術を取り入れて軍事転用を図ろうとしている。研究公募は大学との連携というより「軍事研究の下請け」ではないのかと疑う声が出るのも当然だ。
 日本の近代化は「富国強兵」を掲げ、結局は戦争に突き進んだが、それを軍事研究の面で支えたのが大学であった。戦後、日本の科学は欧米とは違って軍事研究と距離をとってきたのは、誇っていいのではないだろうか。
 学術会議だけでなく、大学の中でも議論が必要だ。科学者の社会的責任について、市民と対話することもあっていい。

[京都新聞 2016年08月17日掲載]

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