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原発避難者訴訟  疑問の残る判決だった

 東京電力福島第1原発事故で福島県から千葉県に避難した住民らが国と東電に損害賠償を求めた訴訟で、千葉地裁が「ふるさと喪失」による精神的損害を認める判決を出した。
 同種の裁判は京都地裁も含め全国で約30件あり、判決は今年3月の前橋地裁に続き2件目だ。
 千葉地裁は、国の審査会が定めた指針に基づく賠償金額では足りないと明確に示した。避難した人たちは、生活や地域社会などを失っている。計り知れない精神的苦痛を積極的に認めた点は評価したい。
 一方で、津波の予見可能性については、国も東電も予見できたとしながら、国の責任を否定し、東電に関しても重大な過失を認めなかった。
 精神的苦痛を積極的に評価し、津波は予見できたともしながら、原因者とその監督者の責任や過失は認めない。極めて分かりにくい判決である。 
 千葉地裁は、政府が2002年に公表した「長期評価」を基にすれば遅くとも06年までに原発の敷地を越える津波は予見できたという原告の主張を認めた。
 国は長期評価を踏まえても地震を予見できなかった、と主張してきたが、判決は国の論理を否定した。
 そのうえで判決は「(国は)対策を取っても事故を回避できなかった可能性がある」「(東電は)対策を放置したとまではいえない」としている。
 予想はできたが、対策が間に合わなかったかもしれないから、対策を取らなくても重大な過失はない、と受け取れる。
 こんな論理が通れば、今後、どのような事故が起きても電力会社と国の責任を問うことは不可能になりかねない。
 千葉訴訟の原告団は控訴する方針という。「ふるさと喪失」が認められたとしても、金額の妥当性には疑問の声もある。そのうえ責任があいまいでは、被災者が納得できないのは当然だろう。
 3月の前橋地裁判決は、東電の責任を明示し、国も規制権限を行使しなかったと断定した。
 判断が分かれた2件の判決を踏まえ、今後の裁判の行方が注目される。10月10日には福島地裁訴訟の判決がある。
 一連の訴訟は原発政策にも影響しよう。事故時の責任があいまいでは、各地で続く再稼働に懸念が一層強まる。国民の疑問に応える判決が求められている。

[京都新聞 2017年09月25日掲載]

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