| Kyoto Shimbun 1998.12.1 |
ブエノスアイレス会議の会場の一角。閉幕の本会議を控え、日本人記者だけを集め、日本政府代表団の会見が始まった。 「交渉は難航したが、何とか行動計画を採択でき、京都のモメンタム(盛り上がり)を維持できた」。徹夜明けの木村崇之地球環境問題担当大使はホッとした表情で語った。 しかし、言葉とは裏腹に、会議で際立ったのは京都会議の開催国日本の存在感の薄さだった。会議終盤、難航する交渉を打開しようと、日本は独自の行動計画案を提出したが「ほとんど見向きされず、提案から二十分で立ち消え」(政府代表団員)となり、最終的に米国案と途上国グループ案を中心に妥協が図られた。
「どうしようもないよ。交渉の経過を尋ねても、答えられないんだから」。環境NGOのメンバーがあきれ返った。「京都会議を経験した官僚の多くが今春の人事異動で代表団をはずれてしまった。条約や議定書の中身を理解し、主要国の代表団にも顔がきく官僚は今、数人だけ。これでは交渉にならない」 ■会見1回だけ 海外メディア向けのPR不足も、日本の存在感の薄さに拍車をかけた。米国や欧州連合は連日、記者会見を開いたが、日本はわずか一回だけ。さらに「米国が参加しない議定書は意味がない」(外務省幹部)として米国寄りに徹したため、日本の姿は米国の影に隠れてしまった。 閣僚会合に参加した真鍋賢二環境庁長官は中国、インド、サウジアラビアなど有力途上国の代表と会い、アルゼンチンなど一部の途上国が自主的に排出抑制に取り組むのを阻止しないよう申し入れた。 「途上国の排出抑制は米国が切望していたこと。日本は米国の使い走りをやらされたも同然」。大阪の環境団体の理事早川光俊さんは苦々しげに語る。
京都会議で活躍した日本の環境NGOも、今回は影が薄かった。気候ネットワーク(事務所・京都市中京区、浅岡美恵代表)などは、日本の温暖化対策やアジアのエネルギー事情について会場内で数回、セミナーを催した。しかし、出席者は少なく、マスコミの関心も集められなかった。 ■特別扱いなし 「日本の政府も環境NGOも、京都会議では『地元だから』と特別扱いしてもらっていた。私たちはまだまだ力不足だし、言葉の壁も厚い」。交渉の裏情報をいちはやくつかみ、各国政府にロビー活動を仕掛ける欧米の環境団体を横目に、若いNGOスタッフはつぶやいた。 それでも、京都会議の盛り上がりを継続させようと、日本の環境NGOは独自の地道な活動を展開した。 京都の市民団体でつくる地球温暖化防止京都ネットワーク(事務所・京都市中京区)のメンバー二人は、京都市長のメッセージをブエノスアイレス市に持参したほか、会場前で各国の温暖化対策強化を訴えるパフォーマンスを行った。 気候ネットワークは、現地で日本語版のニュースレターを編集・発行し、会議や日本政府、産業界の動向を伝え続けた。 浅岡代表は「日本では、環境派に比べて産業界の力が圧倒的に強く、政府は産業界の意向に引きずられている。日本が主体性をもって世界と渡り合うには、市民がもっと声を上げ、NGOも力を蓄えねばならない」と今後の課題を話す。
会議に集った世界各国の代表は、京都議定書を採択した昨年の京都会議を、こぞって「歴史的な会議」と称賛した。その開催国日本が国際社会でリーダーシップを発揮するためには、地球環境保全への確かな哲学とそれを支持する国内世論の高まりが求められる。
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