よみがえれ環境 第8部
36年前、『沈黙の春』で化学物質汚染を告発したレイチェル・カーソンは「人間は、自分の陥る危険を軽視するような、不思議で驚くべき個体である」とエッセイに書いた。予感は的中するのだろうか。 長年、琵琶湖の農薬汚染を追いかけてきた京都大の石田紀郎教授は「DDT(殺虫剤)は、科学知識の限界を示す好例」という。
「DDTは無害の万能薬と信じられ、今から見ると背筋が寒くなるような使われ方をしていた。生殖毒性の判明まで半世紀もかかった。それが現代科学のレベル」。石田教授は科学への過信を戒める。 ■便利さのツケ回る これまで主に欧米で行われてきた研究で、約70種類の人工化学物質が環境ホルモンと指摘されている。しかし、国立医薬品食品衛生研究所大阪支所の川島邦夫生物試験部長は「ほんの氷山の一角。調べれば調べるほど、いろんな物質に内分泌かく乱作用がみつかる可能性がある。環境ホルモンの研究は始まったばかりで、既知より未知のほうが多い」と打ち明ける。 「環境ホルモンを代替物質に切り換えても、それが安全という保証はない。新しい化学物質を次々にばらまく悪循環に陥るだけだろう」。京都教育大の平石隆敏助教授(社会哲学)は「必要ない化学物質は使わない、という原点に戻るべきだ」と訴える。 すでに、環境ホルモンはプラスチック製品や洗剤、薬品などに広く使われ、日常生活に深く入り込んでいる。「便利な生活のために、化学物質を使い放題に使ってきたツケが、精子減少などの形で回ってきている」(石田教授)。 不妊症の原因はかつて女性ばかりと信じられていたが、日本産婦人科学会によると、精子数の減少など男性に原因があると診断されるケースが女性に原因がある場合を上回り、環境ホルモンの影響が疑われている。 ■増加する顕微授精 京都市中京区で不妊治療に取り組む畑山博医師は「精子の能力が極端に低く、通常の人工授精では妊娠できないカップルが目立ってきた」という。このため、精子を卵子の中に直接送り込む高度な顕微授精を手がける医院が全国的に増えている。 湖国で唯一、顕微授精を行っている滋賀県草津市の野村産婦人科。薄暗い授精室のモニターに、丸い卵子に細いガラス管が差し込まれ、オタマジャクシのような精子がするりと卵子の中に入る様子が映し出された。 「48時間後に受精卵を母体に戻し(子宮に)着床すれば妊娠。待ちわびた子宝を喜ぶ夫婦を見ると、こちらも幸せな気分になる」。増田善行技師長は顕微鏡から顔を上げ、にっこり笑った。 日本で毎年生まれる約5千人の人工授精児のうち、約1500人は顕微授精で誕生している。しかし、顕微授精は本格的に普及してから日が浅く、100%の安全性が確認されているわけではない 同医院の野村哲也院長は「不妊治療の切り札として、顕微授精は必要な技術だ。安全性も高まるだろう。しかし、21世紀を人類の大半が顕微授精で生まれるような時代にしてはいけない」と言い切る。 内分泌かく乱物質(環境ホルモン)の危険性を告発した『奪われし未来』には、こんな一節がある。 「子どもたちに安全な未来を残すには、科学知識と専門技術がぜひ必要だ。けれども、人類の幸福と生存にとって何より大切なのは、どんなに知識が豊かになっても、知らないことは、まだまだたくさんあると悟る知恵だろう」 (第8部 おわり)
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