よみがえれ環境 第1部
■中世温暖期の初期 「ちょうど長岡京時代は北半球の気温が急上昇し、中世温暖期(8―13世紀)と呼ばれる暖かい時代の始まりだった。遷都のきっかけにもなった大洪水は、地球温暖化が原因と考えられる。中世に北欧ではバイキングが北極圏のグリーンランドに植民地をつくったほどだ」 長岡京廃都の理由については、桓武天皇が幽閉し餓死させた弟の早良親王の「怨(おん)霊説」と、小畑川、桂川などのはんらんによる「洪水説」が学者間で主に語られてきた。 長岡京の遺構を初めて発見した京都文教大名誉教授中山修一さん(81)は「桓武天皇は早良親王を死に追いやり、皇后ら大勢の人が疫病で亡くなった。当時、不自然な死に方をすると、怨霊になると信じられていた。天皇は怨霊にたたられた長岡京を早く出たかったので、大洪水が起きたのを理由にして、平安京に都を移した」と語る。 日本紀略などの記述によると、今の腸チフス、天然痘などに該当するとみられる疫病が長岡京時代にはやり、192(延暦11)年には大洪水が起きた。発掘調査でも、向日市内の長岡京域にある貴族の邸宅跡地の石組みの便所や畑の畝(うね)から、回虫や蟯(ぎょう)虫などの卵が多数見つかった。 安田教授は「地球の温暖化が疫病大流行のお膳立てをした。温暖化こそが桓武天皇が恐れた『怨念』の正体だ」という。 中世の気候の温暖化については、山本武夫・山口大名誉教授(古気候学)が、平安貴族が記した日記の「花見の宴の日」から推測。京のサクラの開花時期が「平安時代前半は4月10日ごろ、室町時代は同17日ごろに満開を迎えた」とみられることから、山本名誉教授は「中世温暖期は現在より気温が1度ほど高かった」と結論づける。 また、国際日本文化研究センターの北川浩之助手は、樹齢2千年を超える屋久島(鹿児島県)のスギの年輪に含まれるアイソトープ(放射性同位体)の比率の調査をもとに「中世は今より1、2度、気温が高かった。太陽黒点の活動が中世の温暖化と関係していたのでないか」という。 ■早まるサクラ開花 現代に戻ると、中世の時代に似た気象の変化がすでに現れている。 地球温暖化の影響を研究している国立環境研究所(茨城県つくば市)温暖化影響・対策チームの増田啓子・主任研究員によると、京都でのサクラの開花はこの10年で1週間も早まり、昨年は3月31日に開花、4月6日に満開を迎えた。「都市化の影響を差し引いても、地球温暖化がすでに起き、サクラの開花に影響を与えているとしか考えられない」 世界最大のミュンヘン再保険会社(独)の調べでは、巨大暴風雨による保険金の支払いは、92年までの10年間で31件・521億ドルに達し、1960年代の8件・53億ドルに比べ大幅に増加した。「風水害の増加だけでなく、暴風雨の巨大化傾向がここ10数年顕著で、保険金の支払い額は天井知らず」。福井光彦・安田火災海上保険地球環境室課長は「温暖化の影響だとしたら」と危機感を募らせる。 進展する地球の温暖化によって何が起きるのか、安田教授は長岡京時代の出来事が占っているという。「地球温暖化が進めば、風水害や干ばつなど異常気象が増え、マラリアなど亜熱帯性の伝染病が流行、飢きんが頻発する」。安田教授は「歴史が裏付けている」と警告した。 (第1部 おわり)
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