Kyoto Shimbun 1999.6.4 【京都経済 再生】
成功には素直さ必要
「やり残したのは、第二電電(DDI)の仕上げだ。通信業界は、非常な勢いで世界的な合従連衡が進んでいる。その中で第二電電がどの方向で生きていくのか、決めなくてはならない。PHSとイリジウムの再生についても、来年三月ごろまでにはメドをつけたい。第二電電の行方は、通信業界に大きな影響を与えるが、京都がその地殻変動の震源地になるだろう」 二十七歳で小さな町工場からスタートし、世界的な電子部品メーカーに育てた。さらに、巨大組織の日本電信電話公社(現NTT)に対抗して第二電電を創設、PHSや衛星携帯電話に事業を拡大し、今や世界の情報通信業界のカギを握る一人となった。 「京都には、ベンチャーを育てる土壌があった。昔、祇園のお茶屋や芸妓衆が『出世払い』と言って若い人たちを応援したと聞くが、京都には、そういう雰囲気があったのかもしれない。京都大学の存在も大きい。私を支援してくれた人には京大出身者が多かった。東京大学の権威主義、官僚主義に比べて、京大は庶民性、自由人という気風が強い。権威主義、官僚主義の人だったら、零細企業の研究者だった私を大切には扱ってくれなかっただろう」 創業をバックアップしたのは、ベンチャー企業の草分けだった宮木電機(京都市中京区)の西枝一江専務や宮木男也社長(同、京セラ初代社長)=いずれも故人=たちだった。西枝氏が京セラ創業メンバーの一人、青山政次氏(故人、京セラ二代目社長)の京大の同級生だったことから、自宅を担保に入れて出資金を都合し、宮木社長らを口説いて宮木電機の倉庫を工場として提供した。 「私は西枝さんにいろんなことを教わった。西枝学校の一員だと思っている。酒の飲み方から経営者の責任まで。その中に『株式紙切れ論』がある。『あなたの技術を換算した』と言って、株を私に持たしてくれた。その上で、株は会社がうまくいけば値打ちが出るが、うまくいかなければ、かまどのたきつけにしかならない。つまり、株式にこだわるな、と。ベンチャーで成功して有頂天になる人もいるが、株式を紙切れだと思うことで、自分を見失わすんだ」 自らの経営哲学を若い経営者に積極的に語りかけている。十六年前、京都の若手経営者らを集めて始まった経営塾「盛和塾」は現在、海外を含めて約三千人が参加している。航空業界に新規参入した北海道国際航空(エア・ドゥ)への支援も、同社役員が塾生であることが縁で、後輩ベンチャーの支援に力を入れる。 「ベンチャーで成功しかけている人は才能があり、気力も強い。しかし、成功するには素直さが必要だ。私自身、師と仰ぐ人があり、素直に先人の教えを聞いて、自分のものにしたことが一番だった気がする。中国の古典に『謙のみ福を置く』という言葉がある。謙虚でおごらないことがベンチャーの絶対条件だ」
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