Kyoto Shimbun 1998.11.26
「名前を呼ばれるのにもようやく慣れました。けれど、先月の御園座公演(名古屋)で自分の名が書かれたのぼりを見て、ドキッとしたんです。活字を目にするといまだに、名跡の重みを感じます。自分の名前で多くのお客さまに来ていただいていると思うと、なおさらですね」。 孝夫から仁左衛門へ―。東京、大阪、名古屋と続いた襲名披露のフィナーレを飾る顔見世興行。人生で最も記念すべき一年をしめくくる大舞台を前に、十五代目は今まさに、歌舞伎界を代表する名跡を継いだ充実感にあふれているようだ。 「顔よし、声よし、姿よし」。トップスターの要件をすべて兼ね備えた新仁左衛門は、多くの女性を魅了する。上方和事の二枚目から義太夫狂言の敵役までこなす懐の深さも魅力だ。本公演も上方狂言の「廓文章」と江戸歌舞伎を代表する「熊谷陣屋」で、東西歌舞伎の二枚目と立役を演じ分ける。 「『廓文章』の伊左衛門は、昭和四十七(一九七二)年に初演しました。七代目から引き継いできた家の芸で、これは必ず通らなくてはならない道のようなものです。『熊谷陣屋』の直実は、初演したころは、私のニンじゃないといわれたこともありましたが、十五代目が新たに作る実績として、どちらも大切にしていきたい」と意欲を語る。 仁左衛門の名跡は、元禄五(一六九二)年に京都で改名し、活躍した俳優藤川伊三郎が初代。その後は上方劇壇の重鎮といわれた七代目をはじめ東西で活躍する代々が続く。京都に居を構えた亡父の十三代目はもちろん、大阪生まれの本人も、幼少時代は京都に住んだ。東京に進出後、坂東玉三郎とのコンビで「孝・玉」ブームを起こした。本人は多くを語らないが、関西の若手が東京で認められるまで、伝統や秩序を重んじる世界で、相当の辛酸をなめた事は容易に想像できる。 京都ゆかりの大名跡が顔見世で披露されるとあって、前評判は上々だ。座席券の入手が例年以上に難しいと予想され、大入りは約束されたようなものだが「でも、京都は不安なんです。東京は毎月、舞台があって歌舞伎人口も多い。関西歌舞伎が低迷していたころは、役者では食べていけないと思った時期もあります。役者とはぜいたくなもので、客席が半分から七割に増えればありがたく思うのに、満席から九割に減ればダメなんです。歌舞伎をもっとメジャーな娯楽に育てていくことが、大名跡を襲名した私の使命だと思っています」。
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