Kyoto Shimbun
 葵祭あれこれ

優雅さに似ぬ乗り心地

 “動く王朝絵巻”葵祭で、最も目を引く一つが“牛車(ぎっしゃ)”。俗に“御所車”とも呼ぶ平安時代の乗用車である。

 葵祭には牛車は二台出る。一台は勅使(近衛使い代)を中心とした男列に、一台は斎王代の女列の最後を行く。共に大きさは高さ三・四メートル、長さ(轅=ながえ=とも)七・七五メートル、幅は男列のが三・八五メートル、女列のが三・九五メートル。女性用のがわずかだが大ぶりということになる。


 
 もともと葵祭の行列は御所からのお使いの列なのだから、牛車は御所のもの。平常は車庫?に収まっているが、この日だけ、ほこりを払って晴れのお出ましとなる。

 きらびやかに車体を飾る花は、アオイの葉っぱ以外は何がという決めはなく、フジ、サクラ、白梅、紅梅などさまざま。またアオイ以外は今は造花。牛は例年、滋賀県の高島あたりの和牛がお務めをしている。一頭で引き、あと一頭が控えとしてついて行くが、近ごろの牛は昔に比べれば力が弱まったそうな。行列の小休止の回数が増えるということにもなる。

 牛車にもいろいろ種類があって最も高級車は唐車(からぐるま)あるいは唐庇(からびさし)と呼ばれるもの。葵祭の牛車は勅使用がこれ。斎王代用として出るものは八葉車(はちょうのくるま)と呼ばれる少し位の下のもの。

 昔は、勅使、あるいは斎王は、この牛車に乗って社参したわけだが、いまは乗らない。一説によると不安定、車酔いも起こしかねない乗り物とかで、外見の優雅さとは裏腹に乗り心地は、はなはだ悪いのだそうだ。

 だからというわけではないが、牛車が重宝されたのは平安時代の一時代だけで、他はほとんど用いていない。豊臣秀吉、徳川家康が儀式用に復興を試みたが、長続きしなかった。アスファルト時代の現在でも乗り心地ダメの評価の車が、昔の道路に合うわけがない。

 となると平安時代という時代はどんな時代だったのか。よほど、しんぼうのよい時代だったに違いない。


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