Kyoto Shimbun
 葵祭あれこれ

戦後復興、ぜひ一見を…

 葵祭は、斎王代の“みそぎの神事”でスタートを切ります。この神事は、斎王代が、からだを清めて皇城鎮護を神に願うのですが、資料を調べると、平安時代には斎王は鴨川で、みそぎの神事を行ったとなっています。そして鎌倉、室町時代には、葵祭そのものが衰微し、応仁の乱以降は、まったく姿を消してしまい、江戸時代になって再興されましたが、第二次大戦中も中止され、社頭での神事だけが続けられていました。






 
 現在のように王朝絵巻そのままの行列が都大路を巡行するようになったのは昭和二十八年からで、斎王代の登場も同三十一年からです。これは、古都の観光面から、宮内庁京都事務所や下鴨、上賀茂両神社が“京の三大祭”としての振興に知恵を絞った結果です。

 ところで、現在のみそぎの神事は下鴨、上賀茂両神社が隔年交代で行い、斎王代は両神社の“御手洗川”で、からだを清めますが、これも斎王代が登場した昭和三十一年からはじめられた、新しい神事で、とくに、みそぎの神事を行う日は決められていません。

 今年は五月四日午前十時から上賀茂神社で行われますが、この理由を調べてみますと、葵祭は「宮中の祭事」とされているため、宮内庁から勅使が、京都にこられる吉日に合わせるためだ−ということです。

 行列は十五日と決められているのは当然ですが、斎王代にしろ、みそぎの神事にしても「京都の観光対策として、復興されたもので、古い伝統行事も、その時代によって、いろいろ変化するものです・・・」と関係者は話しています。

 十二単(ひとえ)小忌衣(おみごろも)を着た斎王代は、いろとりどりの華やかな唐衣で装うた命婦(みょうぶ)や女嬬(にょじゅ)四十数人の女人列を従えて、みそぎの神事にのぞみます。都大路での行列も、すばらしいですが、この神事も一見するにふさわしいものです。


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