Kyoto Shimbun
 葵祭の主役「斎王代」

 華麗な行列 新緑に映える

御禊の儀の斎王代(上賀茂神社)
 京都には三大祭といわれる祭りがある。葵祭に祇園祭、時代祭ということになっている。千二百有余年の都としての歴史を誇る京都には、年間300を越す祭りがあるそうだ。三大祭は近年になって言われ始めたこと。300を越す祭りがあっても、京の都の祭りといえば、かつては「葵祭」のことだった。

 この祭、もともとは京の先住民族ともいえる賀茂氏の祭りだった。現在の上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)という賀茂氏の神社で五穀豊穣を祈願する祭りが、平安遷都を境に、国家的な祭りへと発展していった。さわやかな新緑におう皐(さ)月のころ、藤の花で飾られた牛車(ぎっしゃ)や、輿(こし)に乗った斎王代を中心にした行列が、御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸するこの祭り、平安の昔をそのままに、都の雅そのものを見せてくれる祭りである。

斎王代を先頭に華やかな女人行列(上賀茂神社)
 現在、葵祭の主役は「斎王代」だが、この斎王代が主役となっての葵祭の歴史は、それほど古いものではない。長い葵祭の歴史の中で、16世紀はじめの室町期と、19世紀中ごろの幕末、太平洋戦争末期の1944(昭和19)年に祭が途切れたことがある。この戦争中から戦後にかけての中断から、53(同28)年に復活し、56(同31)年になって斎王代が登場するのである。

 平安の都の雅再現

 斎王代とは、その名称が示すとおり、斎王に代わるもの。斎王の代理なのである。斎王は「いつきのひめみこ」ともいい、「斎」は「潔斎して神に仕えること」をいう。斎王はかつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王、女王のことなのである。平安の昔、賀茂祭ともいわれる葵祭が国の祭であったころ、賀茂の宮には斎王がおられ葵祭に奉仕しておられた。斎王の住まわれる所を斎院といい、賀茂の斎院は現在の京都市上京区廬山寺通大宮の西北部にあったらしいが、祭の時には出御し、勅使の行列と一条大宮で合流する習いだったという。この時の斎王の華やかな行列を見ようと、都の人々はこぞって集まったと伝えられている。

 始まりは平安初期
 嵯峨天皇 賀茂の社に斎王

輿に乗って巡幸する斎王代(京都御苑)
 始まりは平安時代の初期。810(弘仁元)年、嵯峨天皇は伊勢神宮の斎王にならって、賀茂の社にも斎王を置いた。この初代斎王、有智子内親王から鎌倉時代はじめの礼子内親王(後鳥羽院皇女)まで、約400年にわたって賀茂の斎王は続いたが、後鳥羽院と鎌倉幕府との政変=承久の乱で途絶えてしまった。以後葵祭は勅使は出るものの、斎王が復活することはなかった。

 それを昭和28年に祭の復活後、行列を華やかに盛り上げるため、葵祭行列協賛会などの努力で、斎王代を中心にした女人列を加えて今日に至っているのである。斎王代は民間の未婚の女性が選ばれることになっている。


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