「吉野太夫はそんな女性ではない」。京都市下京区の「角屋」で、当主の中川清生さん(55)が声を荒げた。「角屋」は江戸時代に太夫を招いて宴を開いた揚屋で、今の高級料亭。太夫の詩歌や書も多く保管している。

 怒りの原因は、昨年のNHK大河ドラマ。そこで江戸初期の吉野太夫が半裸で登場したのだ。和歌や俳諧に優れた吉野太夫は、ここ島原の太夫のシンボル的存在だ。「男性に身をゆだねる部分ばかりが強調され、太夫像が傷つけられることは許せない」と中川さんや地元住民は猛抗議した。

NHKに猛抗議

 以後、NHKの謝罪を求め、角屋にかかわる取材を一切断っている。「太夫への一般認識は、この程度なのか。これでは必死で文化を残そうとしても意味がない」。中川さんは嘆く。

 角屋のある島原は、今でこそ五花街に入らないが、全国初の公認の花街だった。この街が今、ぬ ぐいきれない暗いイメージと戦っている。

 島原は1641(寛永18)年、六条三筋の傾城(けいせい)町が移って成立し、栄えた。中でも、舞や鳴り物、文芸にも秀でた最高位の遊女を「太夫」と呼び、その数は最盛期でも20人程度だったという。

 しかし、江戸後期には新興の花街・祇園に客を奪われ始める。明治以降の衰退は著しく、移転したお茶屋の跡には娼妓屋が並んだ。中川さんは「花街の活気がなくなり、太夫が吉原の花魁(おいらん)と混同されるようになった」

 戦後はさらに落ち込んだ。10年前、貸席お茶屋組合が解散、歌舞練場も取り壊された。太夫も現在は、唯一残るお茶屋兼置き屋「輪違屋」に所属する5人だけ。主人の高橋利樹さん(56)も「お茶屋があと10軒あれば。宴会が減り、5人を抱えるのも厳しい」ともらす。

後継者の育成が課題

 本物の太夫を知ってもらい花街の復興を、と90年から続く西陣織会館(上京区)での観光ショーも呼び水になっていない。6月下旬、初めて鑑賞した男性は(61)は「現役の太夫がいるとは知らなかった」と太夫のお点前を喜んだが、ツアーを催すバス会社は「京料理とセットだが、春と秋以外は(客の入りは)低迷している」とさえない。

 「後継者を育てないと太夫の歴史が消える」

 今月3日、ベテラン太夫の花扇さん(56)は、輪違屋を訪れた約100人の女子学生に伝統の舞を披露し、思いの丈(たけ)を語った。

 「太夫は男性につくられた最高の女性像。きれいごとだけやない。だからこそ、すべて受けとめ、その生き方を大切にしたい」。教師など他の職を経て、ここで生きる決意をした経緯を書いた自伝を9月に出版する。

 中川さんも12月、角屋で太夫の舞の鑑賞会を久しぶりに開く予定だ。「太夫の舞を、ここで見てもらう機会を増やしたい。原点に戻ることが、誤ったイメージを取り去ると思うから」

 追い風は吹いている。新選組ブームの中、6月、花扇さんは隊士をしのび、初めて壬生寺を参拝した。大勢を従えた誇り高い太夫道中に、境内を埋めた観光客は魅せられた。うれしい手応え。それを確かな潮流にしたいと考えている。

 写真上=女子学生の前で舞を披露する花扇太夫さん。思いを込めて太夫の生き方を伝える(京都市下京区・輪違屋)

 
INDEX (1) (2) (3) (4) (5) (6)