◎祇園祭とは
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| 大勢の観衆の中、御池通を進む山鉾 |
日本の三大祭の一つに挙げられる祇園祭は、毎年7月1日から31日までの1カ月間、京都市内の中心部や八坂神社(東山区)で行われる。クライマックスとなる山鉾巡行と神幸祭(いずれも17日)をはじめ、多彩な祭事が繰り広げられる。
◎祇園祭の由来と歴史
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| 注連縄を切る長刀鉾稚児 |
平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神(スサノオノミコトら)を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされる。
応仁の乱(1467−77年)で祭りは途絶えたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興された。以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになった。これらの懸装品の豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれる。江戸時代にも火災に見舞われたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られている。現在、巡行に参加している鉾は9基、山は23基だ。
◎祇園祭のスケジュール
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| 四条河原町の辻回し |
毎年、各山鉾町では、7月1日の「吉符入り」で幕を開け、2日には山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われる。10日ごろから鉾建てが始まり、12日ごろには鉾の「曳初(ひきぞ)め」がある。15日の宵々山、16日の宵山を経て、17日は、祇園囃子(ばやし)にのって山鉾が京のメーンストリートを巡行。夕方には、八坂神社の祭神を乗せた3基のみこしが四条寺町の御旅所に向かう神幸祭があり、24日にはみこしが御旅所から神社に戻る還幸祭が行われる。
◎祇園祭の見どころ
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| 八坂神社石段下に集まった神輿 |
山鉾巡行まで=12日ごろの「曳初(ひきぞ)め」には、女性を含む一般市民も参加できる。16日の宵山までは、各山鉾町ではちょうちんの明かりに照らされた山や鉾が楽しめる。各山鉾では、病気除けとされるちまきや、学問成就や立身出世などのお守り(護符)を手に入れることもできる。
山鉾巡行(17日)=午前9時、計32基の山鉾が四条烏丸付近を出発。四条通を東へ向かった後、河原町通を北上し、御池通を西進する。四条麩屋町では、長刀鉾稚児による「注連縄(しめなわ)切り」や、鉾が各交差点を曲がる際の「辻(つじ)回し」がハイライトとなる。
◎祇園祭のちまき
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| 長刀鉾のちまき |
祇園祭の「ちまき」は、厄除けのために各山鉾町で売られている。
ちまきが厄除けの役割を担っているのは、八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が旅の途中でもてなしてくれた蘇民将来に対し、お礼として「子孫に疫病を免れさせる」と約束し、その印として「茅(ち)の輪」を付けさせたのが始まりと言われる。その後、茅(ち)の輪」が変化して「ちまき」になったのでは−とされている。
授かったちまきは、家の門口につるしておき、翌年の祇園祭で新しいちまきと取り替えるまでの1年間、厄除け・災難除けとして重宝されている。
祇園祭のちまきは、食べ物ではない。通常は、ササの葉をイ草で巻き、束にして作られる。しかし2006年には黒主山保存会が、祇園祭で初の「食べられるちまき」を販売。「食べられる」と勘違いする人もいることから発想を転換し、生ふでちまきを作り、話題になった。
◎各山鉾のお守り
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| お守りを授与する霰天神山の町会所 |
各山鉾では、お守りも販売されている。
お守りのご利益は、山鉾の由来によってそれぞれ異なる。役行者山のお守りは、疫病よけや安産、交通安全をもたらす、という。鯉山は立身出世、浄妙山は勝ち守りとされる。
浄妙山は、源平合戦のきっかけとなった、1180(治承4)年の宇治橋の戦いで奮闘した筒井浄妙坊明秀に由来するが、この合戦を機に源氏が立ち上がり、平家を打ち破ったことから、勝ち運を呼ぶ山と言われている。
霰天神山では、京都が大火に見舞われた際、急に霰(あられ)が降って鎮火したが、霰とともに天神像が降りてきた−と伝えられることから、火よけや雷よけなどのご利益がある、とされる。
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