【送り火よもやま話〜過去の紙面から】
京の夏を彩り続けている五山の送り火。その歩みを振り返ると、当時の京の人々の暮らしや空気が鮮やかに映し出される。過去の京都新聞の紙面から、送り火に関する出来事とその時代を振り返る。
白い送り火(1943年)
ありゃ?四山の送り火(1963年)
機械の助っ人登場(1972年)
20世紀の送り火(2000年)
無礼!トラの送り火(2003年)
【白い送り火(1943年)】
毎夏、亡き人の霊を冥府へと送る弔いの炎が、1943(昭和18)年から3年間、京の夏の夜空から消えた。
太平洋戦争末期、火を守っていた若者たちは戦地に赴いて人手が足りず、空襲に備え「灯火管制」が厳しくなったためだ。代わってその年、朝の大文字山に現れたのが「白い大文字」だった。
地元国民学校の児童と一般市民あわせて800人が、白いシャツに身を包んで早朝の火床まで登り、午前7時から全員で戦意高揚と鎮魂の願いを込めて、人文字で「大」を描き、ラジオ体操を奉納したのだという。当時の京都新聞の見出しは「英霊を送る」…。すべてが戦争へと束ねられていく時代だった。
翌年も続けられたが、終戦をはさんで1946(昭和21)年には「送り火」が復活した。

その後「白い大文字」が1度だけ姿を現したことがある。1994(平成6)年、映画 「浮島丸」のワンシーンとして再現された。
撮影には半世紀前に「白い大文字」を体験した女性たちも参加。「平和への祈りとともに、今日まで元気でいられたことに感謝します」(同年9月24日付夕刊)。
今も世界で戦乱が絶えない。送り火に平和の願いを託す人も多いかも知れない。
【ありゃ?四山の送り火(1963年)】
「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」−夜空を焦がす5つの炎がそろってこその「五山の送り火」。しかし、いつまでたっても4つしかつかない…かつて、こんな珍事があった。
1963(昭和38)年8月17日付朝刊社会面に「”主役”なしの大文字」「異例四山だけの点火」の大見出しが躍っている。
記事によると、送り火当日の夕方「京都市内と大津一帯にかけて激しい集中豪雨」に見舞われた。大文字保存会では天候にかかわらず点火する準備を進めていたが、「身動きならない」ほどの雨に、「(点火するため)油など使用できない」と、泣く泣く翌日への延期を決断したという。
当然のことながら、観光客はがっかり。大混雑の電車を降りて、駅に張り出された「大文字は延期」の号外を見てびっくり。大文字の見物スポットは、あきらめきれない人たちであふれ、「酒ばかりをやけにあおっていた」人の姿もあったとか。
ちなみに翌日は点火されたものの、こちらも雨にたたられ、今度こそ順延をさけようと予定より25分も早く点火してしまった。気づかなかった人から市役所などに「まだ付かないのか」と問い合わせが殺到、「もう消えました」との返事に憤慨する声も多かったという。「かつては火をつける時刻はいまほど厳密でなかった」とは大文字保存会の関係者。
「四山の送り火」も「点火のフライング」も、スケジュール管理の徹底した今の送り火では考えづらい。まだまだのどかだった時代ならではのできごとだったのだろう。
【機械の助っ人登場(1972年)】
割り木づくりや下草刈りなど、ほとんどの作業を人力に頼る五山の送り火。特にまきや護摩木を、ふもとから山腹の火床まで運び上げるのは、重労働だ。
大文字山で、この作業に機械が導入されたのは1972(昭和47)年のこと。中腹から「大」の字の左側まで、資材運搬用のリフトが設けられた。
導入が決まったことを報じる京都新聞(同年2月6日付朝刊)によると、当時は「会員にサラリーマンが増えたこともあって」送り火当日だけでなく、山の維持管理に使う資材を運び上げることさえめどがつかない状態。「人力ではもう限界」とリフトを作ることを決めたのだという。
長さ約400メートル、高低差約170メートルを数分で結ぶ。送り火当日の準備作業を伝えた紙面によると、会員からは「やっぱり便利どすなぁ」と感嘆の声が上がっていたとか。
当時、機械化の要因となった「サラリーマン」たちも、30年以上たった今や50代後半以上。世襲だけでは参加者を確保することは厳しくなり、ボーイスカウトやボランティアの協力が欠かせない。「送り火」の維持のため、その時代ごとに工夫が必要なのは、今も昔も変わらないようだ。
【20世紀の送り火(2000年)】
「送り火」は冥府に帰る精霊を送るお盆の行事。この日を境に暑さも和らいでくるとされる、京の夏の風物詩だ。
しかし「送り火=夏」とは限らない。明治以降、琵琶湖疎水の竣工(1890年4月)やロシア皇太子の入洛(1891年5月)、日露戦争の祝勝記念(1935年4月)など、お祝いイベントの一環で点火されたことが数回ある。
もっとも記憶に新しいのは、2000(平成12)年12月31日、京都市の「21世紀幕開け記念事業」の一つとして行われたものだ。8月以外で、「五山」がそろい踏みするのはこの日が2度目だったという。
護摩木に替えて、市民から21世紀の願いを託した「祈願札」を集め、午後9時、大文字から順次点火。「20世紀の送り火」が澄んだ寒空を焦がした。
当日は市役所前でのジャズコンサートなど、各地で20世紀のフィナーレを飾るカウントダウンイベントが催され、街中はとてもにぎやかな空気に満ちていた。
「京の夏の風物詩を、どうして真冬に…」とまゆをひそめる方もあるかも知れない。キリスト教の「西暦」の節目を、「仏教」に由来する儀式で見送る−「矛盾している」などと笑うなかれ。何だか日本的で、ほほえましいものだ。
【無礼!トラの送り火(2003年)】
プロ野球・阪神タイガースの18年ぶりリーグ優勝に沸いた2003(平成15)年、その熱気は大文字山にまで「飛び火」し、ある騒動を巻き起こした。火床に浮かび上がったのは「大」の文字ではなく、阪神タイガースの「HT」マークだったのだ。
当時の京都新聞によると、「事件」が起きたのは優勝へマジック2とせまっていた9月13日。「阪神の快進撃にあやかろう」と、京都市や宇治市のフリーターや学生およそ25人が懐中電灯を手に山に登り、光の文字を描いたのだという。
当然、大文字保存会の人たちはカンカン。火床の中心は、保存会会員らが所有していることもあって、下山してきた若者たちを、警察署員と一緒に厳重に注意したのだとか。保存会の会長は「地元にとっては神聖な山。大変困ったことで、絶対やってほしくない」と、あまりのデリカシーのなさを嘆いてたそうだ。
こうした騒動を見ると「観光化が進むとともに、本来の信仰から離れてきている」と嘆いていた保存会の人たちの気持ちが分かるような気がする。精霊送りの儀式の場での「バカ騒ぎ」は、「悪ふざけだった」ではすまされない。
ちなみに阪神はその年はリーグ優勝したものの、日本シリーズでは敗退、翌年は4位に沈んでしまった。