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  3. 五山のなりたち

大文字 東山如意ヶ嶽 点火20:00

京都市東部、東山三十六峰に属する如意ヶ嶽の支峰・大文字山にある。
山麓には銀閣寺、法然院等の名刹が連なる。

【起源】以下の3つの説が伝わっている
(1)平安時代初期に、弘法大師(空海)が始めたとする説。
かつて大文字山麓にあった浄土寺が大火に見舞われた際に、本尊・阿弥陀佛が山上に飛翔して光明を放った。この光明を真似て実施した火を用いる儀式を、弘法大師が大の字形に改めた。
(2)室町時代中期、足利義政が始めたとする説。
1489(延徳元)年、足利義政が近江の合戦で死亡した実子・義尚の冥福を祈るために、家臣に命じて始めた。大の字形は山の斜面に白布を添え付け、その様子を銀閣寺から相国寺の僧侶・横川景三が眺め定めた。
(3)江戸時代初期に、近衛信尹(のぶただ)により始まったとする説。
1662(寛文2)年に刊行された「案内者」には、「大文字は三藐院信尹(さんみゃくいんのぶただ)殿の筆画にて」との記述がある。信尹は本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに当代の三筆といわれた能書家だった。
  • 【所在地】京都市左京区浄土寺七廻り町
  • 【火床数】75基
  • 【大きさ】一画80メートル、二画160メートル、三画120メートル

妙法 松ヶ崎 点火20:05

「妙」「法」から成る。
西側に位置する「妙」は万灯籠山(松ヶ崎西山)、東側の「法」は大黒天山(松ヶ崎東山)にそれぞれ浮かび上がる。

【起源】
「妙」は鎌倉時代末期、松ヶ崎の村で、日蓮宗の僧・日像が、西の山に向かって「南無妙法蓮華経」の題目から「妙」の字を書き、それを基に地元で山に点火を始めたのが起こりとされる。
一方、「法」は、約350年前の江戸時代初期から行われた、とされる。当時は地域の西側にしか送り火がなかったため、僧の日良が東の山に向かって新たに「法」を書き、これにならって火をともしたのが始まりと伝えられる。
  • 【所在地】京都市左京区松ヶ崎西山(妙)、同東山(法)
  • 【火床数】103基(妙)、63基(法)。現在は鉄製の火床の上にアカマツの割木を高さ約1メートル積み上げて点火している。
  • 【大きさ】「妙」は縦横の最長約100メートル
         「法」は縦横の最長約70メートル

船形 西賀茂船山 点火20:10

京都市の北東部・西賀茂の明見山にあるが、明見山の真下で船形を見ることは難しい。

【起源】
西方寺の開祖、慈覚大師が847(承和14)年、唐留学の帰路で暴風雨にあったが、南無阿弥陀仏を唱え、無事帰国できたことから、その船を型どって送り火を始めたとも伝えられる。
  • 【所在地】京都市北区西賀茂船山
  • 【火床数】79基
  • 【大きさ】縦約130メートル、横約200メートル

左大文字 大北山 点火20:15

京都市西部、大北山にある。字形は右大文字と酷似しているが、規模から点火手法に至るまですべての面で異なる。西大路通のわら天神交差点を北に越えると視野に入る。ふもとには金閣寺がある。

【起源】
1662(寛文2)年刊行の「案内者」に記述はないことから、大文字、妙法、船形の3山より遅れて登場したと考えられる。大の字に一画加えて「天」とした時代もあった。
  • 【所在地】京都市北区大北山鏡石町
  • 【火床数】53基 
    以前は全部かがり火を燃やしていたが、現在は斜面に栗石をコンクリートで固めて火床をつくっている。
  • 【大きさ】一画48メートル、二画68メートル、三画59メートル

鳥居形 北嵯峨水尾山(曼荼羅山) 点火20:20

京都市西部・北嵯峨の水尾山(曼荼羅山)にある。嵐山・広沢池の近郊にあり、市内で見える場所は限定される。 山麓へは新丸太町通を西に向かった後、清滝方面へ北上する。
薪を井桁に組まずに、薪を合わせた松明を燭台に乗せる。親火の所で松明に火を移し、一斉に松明をもって走り各火床に突き立てられるが、あらかじめ各火床に点火準備されていないところが、ほかの四山と異なっている。

【起源】
弘法大師が石仏千体を刻み、その開眼供養を営んだ時に点火されたとも伝えられる。鳥居の形から、愛宕神社との関係も考えられている。
  • 【所在地】京都市右京区嵯峨鳥居本一華表町
  • 【火床数】108基
  • 【大きさ】縦76メートル、横72メートル

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