京都府宇治市宇治蓮華


◆この世の極楽浄土・鳳凰堂

 永承7年(1052)、時の関白・藤原頼道が父・道長の別荘を寺に改めた。翌53年に造られた国宝鳳凰堂(阿弥陀堂)は棟飾りに鳳凰を置き、飛天や二重の天蓋、天井装飾、扉絵で飾られた中堂と、左右の翼廊、尾廊からなり、軽快かつ優美な建築。中堂には名仏師・定朝の阿弥陀如来像本尊が安置されている。

 国宝の鳳凰堂と前面に位置する名勝の庭園は、仏教の教典に説かれた西方極楽浄土を具現したものとされ、鎌倉時代に再建された観音堂とともに重要文化財建造物に指定されている。

◆藤原道長と源頼政

 藤原道長は藤原氏最盛期の摂政関白太政大臣。娘を次々と天皇に嫁がせた。鳳凰堂の建立からおよそ120年後の治承4年(1180)、源頼政が平等院の近くで挙兵、破れて自刃したが、平家も都を福原(神戸市)に移した。さらにその4年後、寿永3年(1184)1月、木曽義仲が源義経を防いだ宇治川の合戦では、義経の家来である佐々木高綱と梶原景季が、それぞれ頼朝から与えられた「イケズキ」と「スルスミ」という名前の名馬に乗って、先陣を競った。


 10円硬貨の図柄にも

 中堂を中心に鳳凰が翼を広げているように左右に翼楼、中堂の後ろに尾廊がのびる鳳凰堂は10円硬貨の図柄にもなった。ほかに鐘楼、観音堂、宝物堂など、庭園も浄土式。

 平安中期、栄華をきわめた藤原時代だが、仏の教えが廃れ、暗い世の中がおとずれるという「末法思想」が広がり、当時の貴族たちが描いた西方浄土の世界を見せる。


 源氏物語・宇治十帖の舞台

 宇治のこのあたりは、源氏物語の五十四帖中「橘姫」以下の最後の宇治十帖の舞台。平等院前の宇治川には塔ノ島、橘島。西に行くと縁結びの「県神社」。宇治橋通には茶商遺構の上林記念館。川向かいには宇治上(うじがみ)神社や曹洞宗・道元の興聖寺(こうしょうじ)などがある。