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◆現存最古の五重の塔
山上の上醍醐と西麓の平地伽藍に分かれている。上醍醐は貞観16年(874)から、平地伽藍(がらん)は延喜4年(904)から整備され、延喜7年(907)に勅願寺となる。山上伽藍の薬師堂、清龍宮拝殿、平地伽藍の五重塔、金堂、三宝院の殿堂表書院、唐門の6つは国宝建造物、特別名勝である三宝院寺庭園の他、9棟1基の建造物が重要文化財に指定されている。
特に、天歴5年(951)に落成、完成された平地伽藍の五重の塔は京都における現存最古の建造物で、初層内部に描かれた両界マンダラ壁画は密教寺院の特性を示している。
応仁の乱により五重塔をのぞいてほとんどの堂宇が焼失。慶長4年(1598)、豊臣秀吉が花見を催して再興、徳川家からも寄進を得るなどして、現在の伽藍のほとんどが整えられた。
◆豊臣秀吉と醍醐の花見
慶長3年(1598)3月15日、豊臣秀吉は淀君の産んだ長子、満4歳半の秀頼を連れ、正室や側室とともに醍醐寺で盛大な花見の宴を催した。秀吉62歳、5カ月後に波乱の生涯を閉じた。尾張出身、初名木下藤吉郎。織田信長につかえ本能寺の変ののち、明智光秀を滅ぼし天下を統一。関白太政大臣、のち関白を養子秀次に譲り太閤を名乗る。文録・慶長の役を起こし朝鮮に出兵。戦い半ばに病没(1593-1615)。辞世「露とおち 露と消えにし 我が身かな なにわのことも 夢のまた夢」。
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