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◆清水の舞台から…
宝亀11年(780)に私寺として建立、弘仁1年(810)に寺地が認められる。創建後、9回の火災焼失で再建されているが、寛永6年(1629)の火災を逃れた馬駐、仁王門、鐘楼以外は1630年代の再建。
国宝の本殿、三重塔、地主神社の本殿、拝殿など18棟は重要文化財建造物に指定されている。また成就院庭園は名勝指定である。とりわけ平安時代の様式を伝える「清水の舞台」の本堂は、前半分が崖に乗る形で、縦横の貫によって結ばれた高い束柱が支える「懸造」の構造で平安時代からの形を受け継ぐ。昔から「清水の舞台から飛び降りる気持ち」は絶対絶命の境地を表す。本堂の東の石段下の名水「音羽の滝」は「清水(きよみず)」の名の由来。
阿弥陀堂は、平安時代末に法然が常行念仏を行った道場といわれる三間四方の木造建築。江戸初期、清水寺の諸堂が焼失したが、「清水の舞台」で有名な国宝・本堂をはじめ、ほとんどが寛永10年(1633)徳川家光によって再建された。
◆坂上田村麻呂
平安初期の武将。桓武天皇の時に行われた蝦夷征伐において武 将としての器量を発揮した。 延暦20年(801)第三次蝦夷征討の時には4万の軍を率いて、胆沢 の地を攻略し蝦夷計略に多大の功績を残した。延暦24年(805)参議となり、中納言を経て正三 位大納言(右近衛大将兼任)に進んだ弘仁1年(810)の薬子の変では嵯峨天皇の命で、東国に 脱出しようとした平城上皇らをくい止め武功を立てた。翌年死亡後従二位を贈られ た。田村麻呂は模範的武将として尊祟され、征夷大将軍の職名は部門最高の栄誉とさ れた。京都東山の清水寺は、田村麻呂の創建と伝えられている。
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