京都市中京区二条通堀川西入ル


◆家康の命で造営

 慶長8年(1603)、関が原の合戦で勝利をおさめた徳川家康が、京都御所の守護と上洛の際の宿所として諸大名に命じて作らせた城。桃山文化の精神を伝える文化遺産。寛永3年(1626)の天守、本丸御殿、二の丸御殿の大規模に拡張され、現在の規模となる。二の丸御殿は武家風書院造を代表する建物。その主要部は遠侍及び車寄、式台、大広間、黒書院、白書院などの複合体で、目的に応じて豪華な彫刻など意匠が凝らされている。

 二の丸御殿の6棟は国宝、二の丸庭園が特別名勝に指定、また旧桂宮御殿を移した本丸御殿、東大手門など22の建造物は重要文化財を受けている。

◆3代将軍・徳川家光、15代将軍・慶喜

 3代将軍・家光(1604-1651)の時、後水尾天皇が行幸「今が弥勒の世なるべし」と語ったとか。参勤交代、鎖国令など定め、天草の乱を平定、幕府の基礎を築いた。

 15代将軍・慶喜(1837-1913)は水戸徳川家の出身。14代将軍・家茂の後見職を勤め公武合体に活躍。将軍職を継いだが幕末の内憂外患に直面、慶応3年(1867)、徳川政権最後の締めくくりをこの城で告げた。鳥羽伏見の戦いに破れ水戸に隠棲のち公爵。二条城は寛永3年(1750)の落雷で天守閣焼失、天明8年(1788)の大火で類焼している。再興は明治になってからである。


 幕末の大舞台

 二条城が歴史の中で下も注目されたのが幕末のころ、大政奉還の上表がここで行われた。そして、世の中は文明開化の明治時代へと移っていった。

 市中央部に東西約500メートル、南北約400メートルの堀をめぐらす。茶会を催すなど市民の憩いの場として、国賓・公賓の接遇場所としても利用されている。


 普段着の京に触れる

 すぐ南に史跡「神泉苑」(しんせんえん)。天皇御遊のための庭園として平安初期に造られた。神泉苑の南の「二条陣屋」は江戸初期に建てられた大名の宿所で、現在は個人の住居。JR山陰線二条駅も近い。付近の二条通や三条通には和菓子の老舗や昔ながらの店が軒を連ねる。ひと味違った普段着の京都に触れることができる。