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◆格式高い門跡寺院
先帝の遺志を継いで宇多天皇が仁和4年(888)に完成。譲位したのち御所としたため「御室」とも呼ばれる。その後も明治維新まで皇子、皇孫が門跡を務め、門跡寺院トップ地位にあった。
応仁の乱で全伽藍を焼失したが、現在の伽藍は1640年代に再興。国宝の金堂は、桧皮葺屋根を本瓦葺に変えているが、京都御所の紫宸殿を移築したもので、正面七間、側面五間、四方に蔀戸をめぐらした大規模な建物は桃山時代の宮殿建築を伝える貴重なもの。他に御影堂など14棟の重要文化財建造物がある。
源氏物語、方丈記、平家物語など古典文学にもたびたび登場。特に『仁和寺のある法師……』で始まる随筆「徒然草」は有名。作者の吉田兼好は双が丘の庵に住んだ。
◆吉田兼好
鎌倉末期の歌人・随筆家。本姓は卜部。京都吉田に住んだので吉田を名乗った。のち剃髪して仁和寺の南にある双が丘のふもとに住み「つれづれなるままに」と筆を起こした「徒然草」を残す。種々の思索的随想や見聞243段からなる。「人間は長くとも40歳以前で死ぬのが望ましい」と書きながら、70歳近くまで長生きした。和歌四天王の一人でもあり、「兼好自撰和歌集」もある。双が丘の東麓の長泉寺に墓がある。(1283-1350)。
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