(浄土真宗本願寺派総本山)

京都市下京区堀川通花屋町下ル


◆壮大な御影堂、国宝・飛雲閣

 浄土宗本願寺派の本山で大坂にあったものが焼失、天正19年(1591)に京都復興のシンボルとして寺院組織を豊臣秀吉が移す。移転後すぐに伽藍整備が行われ、寛永10年(1633)ごろには、ほぼ現在の姿が整えられる。

 桃山文化を代表する建造物、庭園が残されており、豪壮な書院造を踏襲した書院と数寄屋風書院の黒書院及び伝廊、唐門、北能舞台、飛雲閣が国宝、大書院庭園が特別名勝。高さ29メートルの御影堂(親鸞聖人の木像を安置している)と24メートルの阿弥陀堂など6棟の建造物は重要文化財に指定されている。

 城郭風の構えは、戦国時代の一揆や戦火の名残り。玄関・書院などは伏見桃山城の遺構である。三層の楼閣「飛雲閣」は、秀吉の邸宅・聚楽第(じゅらくだい)の遺構で、金閣、銀閣と並ぶ「京の三閣」として有名。

◆蓮如上人

 本願寺第8世。本願寺を継いで後、数々の変革を行ったほか、教義をわかりやすく仮名で説いた「御文章」を各地の門徒に送など日常語を用いて教化に努めた。農民層を中心に組織化に成功、真宗教団を拡大、中興の祖といわれる。越前(福井)吉崎を中心に北陸を教化、反感をかった比叡山僧徒に大谷本山を焼かれて大津近松寺に逃れ、山科本願寺、大阪石山別院を営んだ。5度の結婚、そして十三男、十四女をもうけた。明応8年(1499)寂、85歳。


 城郭を思わせる大寺院

 JR京都駅からは西北の方角、堀川通に面した築地塀の城郭を思わせる大寺院。桃山・江戸時代に建立された御影堂を中心に重厚な伽藍(がらん)が立ち並ぶ。

 親鸞聖人の没後、娘の覚信尼が東山のふもとに小堂を建てたのが本願寺の起こり。激動の時代の中で大坂など各地を転々とし、豊臣秀吉の寄進により、ようやく現在の地に。


 軒を並べる仏具店

 寺の東向かいは仏具のお店が数多く軒を並べ、その一角に「風俗博物館」がある。さらに東に行くと東本願寺。すぐ南は本願寺から分派した真宗興正寺本山、南西には明治時代の洋風建築・龍谷大学大宮学舎本館。SLを動態保存している「梅小路蒸気機関車館」も近い。