Kyoto Shimbun 2002.7
京都を歩こう−島原あたり−



 京都では上七軒、先斗町、祇園甲部、宮川町、祇園東の5つの花街が知られるが、このほか、かつて花街として栄えた島原も忘れてはならない。江戸期に栄えた角屋、太夫を抱える唯一の置屋「輪違屋」などが残り、当時をしのばせる雰囲気が漂う。祇園とはまた違った独特の花街かいわいを今回は歩いてみよう。(メディア局編集部 行司千絵・写真 山中茂)

 島原は京都駅からJR山陰本線で2つ目の駅、丹波口駅から南へ10分ほど歩いたところにある。遠回りになるが、駅を出て五条通に沿って東へ歩き、壬生川通で南へ歩こう。花屋町通まで来ると、西へ。大きな木造の門が見える。島原大門だ。

 ここは島原の入り口。門をくぐると、今は民家が立ち並んでいるが、かつては置屋が約50件、揚屋が約20件あった。今、唯一残っている揚屋は「角屋」。日本で唯一現存する揚屋様式の建物で、期間限定で公開している(次回は9月)。角屋保存会の中川清生理事長は「島原は、江戸期以来の公許の花街として発展してきました。揚屋は今でいう料亭で、太夫や芸妓を置屋から呼び、宴席でもてなす場でした。単に宴席だけでなく、文人や俳人らが集い、書をたしなんだり、和歌を読むなど、サロン的な存在でもありました」と話す。

 2階立てで、螺鈿(らでん)をちりばめた青貝の間、58枚の扇面を貼り混ぜた扇の間などがあり、いずれも華やかだ。ふすま絵は円山応挙らが描いたとされ、与謝蕪村の「紅白梅図屏風」(重文)や「芭蕉・其角短冊、淡々極め」などの逸品も大切に残されている。

 島原あたりをより観光客に楽しんでもらおうと、地元の島原伝統保存会が昨年末、ゆかりの和歌や俳句を石碑にし、島原大門、歌舞練場跡地など6ヵ所に石碑を建立した。大田垣蓮月、吉井勇、与謝蕪村などで、今秋には石碑めぐりに役立つ地図も作成する予定という。中川理事長は「石碑をめぐってもらい、島原を理解してもらえたら」と話している。

  大門の近くには置屋「輪違屋」がある。創業は元禄年間(1688−1704年)。一度建物は焼失し、安政4(1857)年に再建された。現在、現役の太夫で同志社女子大の科目履修生の花扇太夫さんが学生を輪違屋に招いて、島原文化を紹介するなどの取り組みも行っている。

 大門を東に向かうと、嶋原商店街がある。昔ながらの帽子屋さんやおもちゃ屋さんなどが並ぶ。明治19(1886)年に創業したあられ店では「太夫あられ」を販売している。店主の藤田光一さん(55)は「島原名物になれば」と期待を寄せる。同商店街ではかつての太夫道中を復活させるなど、地域の特色を生かした活性化に取り組んでおり、市村勝理事長は「今後も島原文化と連携していけたら」と話す。

 大門から南に向かうと、蒸気機関車を特別展示している梅小路蒸気機関車館があるので、立ち寄ってもいい。七条通沿いには西七繁栄会などの商店街が建ち並んでおり、ぶらぶら歩くのも楽しい。