陳 壮一さん(43)
柳月堂(京都市左京区田中下柳町)

陳壮一さん
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番第1楽章が流れ始めた。「私語厳禁」と書かれた部屋に約40席のいすが並ぶ。部屋の中央には大型スピーカーやアンプがでんと置いてある。学生、教授、旅行者たちが、手紙や書類を書きながら、本を読みながら、あるいは何もせず、無言でレコードの音色に耳を傾けている。2代目のオーナー陳さんは目を閉じながら、一番後ろの席に座っていた。

 店内はアンティーク家具が並び、柔らかい光の照明がともされている。時間に練られた重厚な雰囲気が詰まっていて、雑居ビルの2階にあるとは思えない。レコードを純粋に楽しむ名曲喫茶。台湾出身でクラシック好きの父・芳福さん(78)が1954年、出町柳駅前に開いた。名前は、店の前に柳が植えられていたことから付けられた。

私語厳禁の喫茶室。客が思い思いに時間を過ごす
 場所柄、京都大、同志社大、立命館大などの学生や、大学教授らの利用が多い。開店当初はコーヒー1杯250円。いくらでも粘ることができた。常連客が多く、互いに顔みしりで、電話の取次ぎも店員が快くしてくれた。「70年代のころ、柳月堂に来て下さる学生さんで、4年で卒業できたら、奇跡だと言われてました。退学したり、8年まで通ったり、そんな人が多かった。80年代半ばでようやく4年で卒業した人が出たんと違うかなぁ」。青春のいろんな思いを抱える人たちが訪れた。コースターの裏に、マッチの燃えかすで、プロポーズの言葉を書き入れ、結婚したカップルもあった。

入り口に置かれた五線譜。ここにリクエストの曲名を書き込むと、順番にかけてくれる
   京都市内にはかつて名曲喫茶が50軒近くあった。ジャンルは、シャンソン、中南米、ブルースなど幅広かった。だが、いずれも経営が難しくなったり、し好の変化で、店は減っていった。柳月堂も赤字続きで、1981年にいったん閉鎖した。店を手放すことも考えたが、「母が続けたい、と言ったんです。ステレオいじりはもともと好きだし、自分のしたいことができない訳ではないから、父から店を引き継ぎました」。

 陳さんは自分自身を「番人」と言う。「肩から力が抜けた状態というか、一人になる時間て、必要でしょ。でも一人やったら寂しい。同じ感覚の人がいるだけで違う。そういう気持ちで来られたお客さんが一人でもいはったら、鬼になってでも私が守らないとと思います。店ってお客さんが作ってくれはるもの。店を守るためには、いいお客さんを求めなくてはならないんですよね」。今はコーヒー一杯1000円する。高額だが、それも店を守るため。回数を楽しみたい人には、格安のチケットや、レシートを金券がわりにするなどしている。音楽を楽しむ次世代を育てるために、妊婦さんは半額にするなどの取り組みも。人が本当に落ち着けるオアシスを思い描きながら、試行錯誤を重ねている。

バーコーナーも。ここではゆっくりとしたおしゃべりが楽しめる。アンティーク家具は神戸から阪神大震災前日に届けられた
 ベートーベンの交響曲第5番ハ短調「運命」の1枚から始まったレコードも、今では8000枚弱を誇る。学生時代、利用者だった大学教授が亡くなった際、故人が集めたレコードを寄付されることもあった。さまざまな人が、ありのままの自分になって時を過ごした名曲喫茶は来年、開店50周年を迎える。「記念の冊子を作って、かつて利用してくださった方に送ろうかな、と思っています」と微笑む。曲が途切れた。まもなくモーツアルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲がかかり始めた。(02年8月6日掲載)




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