探訪 京滋の庭
居初氏庭園(大津市)
▼MEMO

開発につれ変わる 自然の借景

写真
琵琶湖や対岸の山々も、庭の景色の一部になっている
 庭園の門をくぐると、足元に敷かれた石畳が真っすぐ伸びている。琵琶湖はすぐそこ。石畳の上に視線を走らすと、奥の垣根の向こうに琵琶湖が銀色に輝いている。対岸の三上山の端麗な姿も望める。江戸時代の俳人小林一茶はこの庭にたびたび訪れ、庭に入った際の視線の動きを「湖よ松それから寿々(すす)み始むべき」と詠んだ。

 一茶の句に出てくる庭園内にあった松の大木は、昭和初期に枯れてしまった。今は、センリョウやサツキなど実や花をつける木々が植えられ、訪れた人に四季の変化を感じさせてくれる。

 樹木は、琵琶湖や対岸の景色を庭園の景観に取り込むため、どれも低い。視界が樹木に遮られず、約690平方メートルの庭が実際よりも広く感じられる。

 平安時代から大津市の堅田一帯で漁業や船運を取り仕切ってきた居初(いそめ)家の敷地内にあり、現在は29代当主の居初寅夫さん(75)が管理している。

 庭園を造ったのは、19代当主の居初市兵衛。1681年ごろ、市兵衛の親せきの北村幽安と、幽安の茶の師匠だった藤村庸軒が設計した、と伝えられる。庭園の一角に茶室も造った。庸軒は千利休の孫、千宗旦の高弟として知られ、寅夫さんは「市兵衛は早くに父や祖父を亡くし、19歳で当主になった。立派な茶室と庭を造り上げることで、自分の力を示したかったのでは」と推測する。

 茶室と庭園は客をもてなす場として利用されてきた。居初家に伝わる資料によると、茶室に立ち寄った天台宗の僧りょ六如上人が1799年、茶室からの眺めが琵琶湖など自然の風景を切り取ったように見えたことから「天然図画(ずえ)亭」と名付けたという。庭園は1981年、国の名勝に指定され、茶室も93年、県指定文化財になった。

 琵琶湖畔の開発につれ、茶室から見える自然の姿が変わった。寅夫さんは「子どものころは、対岸に菜の花が咲くと黄色いじゅうたんのようだった。今は湖岸が埋め立てられ、ビルが建ち並ぶ。じゅうたんはもう見られません」とつぶやいた。

【2001年2月14日掲載】


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