探訪 京滋の庭
神泉苑(京都市中京区)
▼MEMO

竜神の池 親しまれる「ひでんさん」

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こじんまりとした落ち着いたたたずまいが近所の人に親しまれている神泉苑の庭
 近所の人は「ひでんさん」と親しみを込めて呼ぶ。「しんせんえん」の読みがなまったらしい。庭には、緑豊かな木々に囲まれた池の中ほどに小さな島が浮かぶ。池には堂や社が立ち、こじんまりと落ち着いたたたずまいを見せる。出入り自由なこともあり、散歩や参拝に訪れる人が多く、身近な庭だ。

 桓武天皇が794(延暦13)年に平安京を造営した際、大内裏に南接する庭園として造られた。当時は天皇や公家しか入ることができない禁苑だった。鳥越英徳副住職(50)は「歴代の天皇が花見や船遊びなどの優雅な遊びをしたようです。狩猟もしたほど広かった」と話す。

 江戸時代に徳川家康が二条城を築き、敷地の大半が失われるまでは、3万坪もある大庭園だった。現在は約15分の1に縮小し、南北約100メートル、東西約70メートル。庭の中心を成す池は、二条城の外堀から流れ込む水と湧(わ)き水で1年中豊かに水をたたえている。824(天長元)年の大干ばつで恵みの雨を降らせた水の神様の竜神が住む、と伝わる。

 朱塗りの「法成橋」を渡り、池の南側の小島に行くと、小さな社がある。大干ばつの際、東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏(しゅびん)が雨乞いの法力争いをし、空海が竜神を呼び寄せて雨をもたらした。社は竜神の拝殿になっている。その後、数々の高僧が修行に訪れ、祈雨の霊場としても知られるようになった。

 平安京以前、敷地周辺は湿地帯で大きな池があった。それを利用して、池を中心にした庭園ができた。ウナギやスッポンがすみつき、森ではシカやウサギが飛び跳ねていた。

 俳人蕪村は「名月や神泉苑の魚おどる」と詠んだ。今ではコイがゆったりと泳ぐ。周りの木々もあまり手を加えず、自然のままに力強く枝を伸ばしている。1935年には、敷地全体が国指定の史跡に選ばれた。

 神泉苑は東寺真言宗の寺でもある。鳥越正道住職(78)は「いまだに地図に神社の印がついていることもあるが、れっきとした寺です。長い歴史を経て、坊さんと神さんが仲良くするようになった。不思議なところです」と笑顔をみせた。

【2001年2月21日掲載】


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