探訪 京滋の庭
天寧寺(京都府福知山市)
▼MEMO

禅の境地へ 心誘う山間の名刹

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余分な飾りのない境内。厳粛な雰囲気は創建時の名残が漂う
 京都府福知山の市街地を北へ約8キロ。人里離れた山間部に抱かれた臨済宗妙心寺派の天寧寺山門をくぐると、手入れの行き届いた境内が広がる。正面奥の薬師堂(仏殿)を中心に、七堂伽藍(がらん)がL字型に配置され、短く刈り込まれた草地に十数本の小さな松の木がたたずむ。丹波地方有数の名刹(めいさつ)の庭は、訪れる参拝者の心を落ち着かせ、あたかも禅の境地へ誘うかのよう。

 緑豊かな辺りの風景に、無理なくとけ込む荘厳な雰囲気。「今風の寺院のように手の込んだ造作をせずに、天与の環境を生かして寺を守っていきたい」と、田中禅徹住職(52)は話す。世俗的な寺の発展を嫌い、修行第一に考えた開山・愚中周及(1323〜1409年)の思想が反映されている。

 中国元の紫金山・金山寺で修練を重ねた愚中は、若くして京都の南禅寺の要職にあったが、同門の僧とのトラブルを機に都を離れたという。

 播州や丹波、丹後を転々とした後、やがて福知山北部で地頭として勢力を張っていた大中臣(金山)宗泰と、当時、この地にいた霊仲禅英の意志で、1365(貞治4)年に開山として迎えられた。

 「勇猛精進の者に非ざれば 則ち衆員に預り難し」と、容易には修行者を寄せ付けない愚中。自ら、深い雪に覆われた境内での座禅や月夜の立禅を繰り返したとされる。

 「愚中の性格からいって、当時は小さな庵ぐらいだったのでは」(田中住職)とされる天寧寺も、室町幕府の四代将軍足利義持によって足利氏の祈願寺とされて以降は、仏殿や書院なども建てられ、禅寺としての様式を備えていく。

 江戸中期の大火で伽藍は焼失したが、その後、次々と再建された。特に、薬師堂東側の開山堂は、1793(寛政5)年の建築。六角円堂の土蔵造りという珍しい形式で、府の指定文化財になっている。

 余計なものをそぎ落とした百メートル四方の境内。田中住職は「天寧寺は愚中周及という強烈な個人があってのもの。質素枯淡な禅寺本来の『におい』を感じてもらえるのでは」と話す。

【2001年3月7日掲載】


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