探訪 京滋の庭
二条城二之丸庭園(京都市中京区)
▼MEMO

武家と公家 両者の交流味わい生む

写真
御殿を背景に豪壮な石組みを誇る二之丸庭園
 石垣の木々に緑が光る。東大手門を抜け、唐門(からもん)に至ると、金飾りの鮮やかな国宝・二之丸(にのまる)御殿が見える。その左手。大小の石組みに縁取られた庭園が、壮麗な姿を表す。

 広さ約1万6000平方メートル。北西角から滝から流れ込む水が池を潤し、中央には鶴島と亀島を従えた蓬莱(ほうらい)島が浮かぶ。滝の近くにはソテツが植わり、エキゾチックな風情も漂う。国の特別名勝だ。

  「いま眺めても豪華絢爛(けんらん)。桃山時代を代表する武家風書院造りの傑作です」。元離宮二条城事務所の水本鉄也さん(46)は語る。

 二条城は、徳川家康が1603年、朝廷の守護を名目に造営した。征夷大将軍になった際には、ここで皇室に答礼しており、庭園も一世一代の晴れ姿にふさわしいよう整えられた。当然ながら、二之丸御殿からの眺めが最も美しい。

 ところが、1626年の後水尾天皇の「行幸」の際に、庭は御殿の反対側からも観賞できる造作に改められた。茶人、造園家として知られる幕府作事奉行・小堀遠州が、作庭にかかわったという。

 この地はもともと御所禁苑の「神泉苑」の一部。武家のトップである徳川氏が城にしたが、大政奉還の舞台となったのち、皇室の離宮に戻った。流転を繰り返している。

 国際日本文化研究センター(西京区)の白幡洋三郎教授(都市文化論)は「武家の庭であるとともに、公家風の味わいもある。両者の交流が作った総合芸術だ」と話す。

 1939年、二条城は皇室から京都市に下賜された。市は、2003年の築城400年を記念して、市民らの意見をくんで、堀川の流れを庭の池に引く計画を進めている。

 庭は、江戸時代初めの美を現代に伝えながら、市民と新たな交流を始めようとしている。

【2001年5月2日掲載】


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