探訪 京滋の庭
勝竜寺城公園(京都市西京区)
▼MEMO

のどか風景 戦国夫人のロマン秘め

写真
細川ガラシャのふるさととして親しまれている勝竜寺城公園
 JR長岡京駅東口から南へ500メートルほど歩くと、堀と石垣に囲まれた勝竜寺城公園が見える。堀にはコイが泳ぎ、カメが顔を出す。カモも羽を休めていた。その堀に架かる小さな橋を渡り、高麗門をくぐると、小川や池をあしらった和風庭園が広がる。

 長岡京市の東南部にある勝竜寺城公園は、同市が総工費22億円をかけ、1992年春に再現した。春は桜とツツジが咲き誇り、五月になると、初夏の日差しを浴びた新緑がまぶしい。秋には市民まつり「長岡京ガラシャ祭」が開かれ、恒例となった細川玉の輿(こし)入れ行列の会場として大勢の住民らでにぎわう。

 勝竜寺城の歴史は古い。南北朝時代の1339(暦応2)年、足利尊氏率いる北朝側の細川頼春が築いたという。吉野の南朝に、にらみを利かせるためで、京都盆地の西南部を防衛する前線基地として西国街道沿いのこの地を選んだ。

 細川ガラシャ夫人にまつわるロマンも秘められている。明智光秀の三女・玉(後のガラシャ夫人)は1578(天正6)年、細川藤孝の長男忠興のもとへ嫁いだ。

 四年後に「本能寺の変」が起こり、光秀勢は天王山の合戦で豊臣秀吉に敗れた。玉は反逆者の子として丹後へ幽閉され、その後、石田三成の人質になるのを拒んで自害した。

 ガラシャの悲劇から約400年。勝竜寺城は公園に姿を変え、市民に親しまれている。市内の観光名所を案内する長岡京市ふるさとガイドの会の菊池博会長(74)は「観光客の関心も高い。平日は子どもたちを遊ばせるお母さんたちの人気スポットで、公園に来ている人を見かけます」と話す。

【2001年5月9日掲載】


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