探訪 京滋の庭
本法寺(京都市上京区)
▼MEMO

光悦による唯一の作 独特な意匠

本法寺
本阿弥光悦が手がけたと伝わる唯一の庭園。池は切石を組んで日輪を模した
 江戸初期の芸術家本阿弥光悦(1558−1637)が手がけた唯一の庭園と伝わる。書院風枯れ山水の影響を受けながらも独特の意匠を持ち、国の名勝に指定されている。

 「巴(ともえ)の庭」とも呼ばれる。書院から庭を望むと、右手奥に3つの島が巴形に配置されている。神仙思想に由来する蓬莱(ほうらい)島など三つの島を表すという説があるが、同寺の大塚泰詮貫首は「過去、現在、未来の3世にわたって法華経を尊ぶという光悦の信仰心を表したのではないか」と推測する。

 中央の島には白い筋が縦に走る青石を置く。滝の水が流れ落ちる様を表現した、他には見られない技法だ。滝つぼには小石を置いて泡立つ水を表す。

 さらに目を引くのが、長さ約1.5メートルの細長い切石10本で組んだ十角形の池だ。日輪の形を模したといわれ、池には蓮を浮かべて浄土を表した、とされる。

 本阿弥家と同寺の関係は、獄中で培われた。同寺を開いた日親は、当時の将軍足利義教の政治を正そうとしたことが災いし、投獄された。焼けたなべを頭にかぶせる拷問も受けたことから「なべかぶり日親上人」とも呼ばれている。

 獄中で巡り合ったのが、光悦の曽祖父、本阿弥清信だった。清信もささいなことから義教の怒りに触れ投獄されていた。獄舎で日親に教化された清信は、出獄後に日蓮宗の信者となり、同寺に深く帰依することとなった。  1587(天正15)年、豊臣秀吉の帰依を受けた同寺は現在の地に寺を再興する。この時、本阿弥家は私財を投じて建立を支援、光悦も独特の美的感覚をこの庭園に刻むことになった。

 境内東隣には表千家の不審庵、裏千家の今日庵が並ぶ。境内や周囲を散策すれば、町中とは思えない落ち着いた雰囲気を味わうことができる。

【2002年2月4日掲載】


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