探訪 京滋の庭
足利庭園(滋賀県高島市)
▼MEMO

京を逃れた 将軍の思い伝え

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池泉回遊式の足利庭園。作庭当時の姿をそのままに残しているという
 花折断層に沿って、日本海と京都をつなぐ若狭街道(鯖街道)が縦断する朽木村。かつて、曹洞宗の開祖・道元禅師が越前国におもむく際に立ち寄り、織田信長が浅井、朝倉氏との戦いで都に退く途中で宿をとった。ひなびた村は、交通の要衝でもあった。

 1528年、三好元長に追われた室町幕府の第12代将軍足利義晴が、管領細川高国を伴い、朽木の領主朽木稙綱(たねつな)を頼り、朽木で三年余りを過ごした。稙綱が将軍の館を作り、高国が、京都・東山の慈照寺(銀閣寺)の庭をモデルに、この庭を作ったと伝わる。

 1935(昭和10)年、国の名勝に指定され、現在は、江戸時代に大火に遭ってこの地に移った興聖寺の境内にある。五人の足利将軍とゆかりがあることから、「旧秀隣院庭園」とも、「足利庭園」とも言われる。

 池泉回遊式。谷水を池に引き込み、鶴と亀に見立てた島や、10個の腰掛け石を配置し、蛇谷ケ峰を借景としている。「連歌や月見の宴、野点、ホタル狩りが行われ、将軍を慰めたのでしょう。何もないところですから、将軍のお付きの方々も、苦労なされたのでは」。興聖寺の森泰翁住職(76)は庭を眺めて、山村に身をひそめた将軍らの様子を思い浮かべた。

 江戸時代前期の茶人で造園家の小堀遠州が、ヤブツバキが咲き乱れる足利庭園を見て「庭に樹木を植えるときには、ヤブツバキだけは遠慮されるがよろしかろう。何せ首が抜けるでのう」と語り、それ以後、ツバキが忌み嫌われるようになったとも伝わる。

 森住職は言う。「樹高41メートルのスギや、日本庭園に初めて使用したというコウライシバなど、四つの植物群が作庭当時の姿をほぼそのまま残している。立派な庭のつくりの中に、花の都からここに移った将軍の悲しさが伝わってきそうです」

【2002年1月30日掲載】


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